がくしゅうちょう

書いて残す

日記

もう二度と会えない、みたいなやつ、よくあるキャッチコピー的なかんじで見かけることがあるけど、ドチャクソにつらすぎないか?悲劇的すぎる。だって、もう二度と、二度と会えないんだろ?やばい、つらい。

最近「二度と会えない」がほぼ確定してしまった人ができた。私はその人のことがほんとうにだいすきだった。あの場所に行けばいつでも会える、戻れる、と思って会わないでいるうちにもう数年経っていて、気がつけば「二度と会えない」というところまで来てしまっていた。愕然とする。こんなことになるなんて思ってもいなかったのになあ。どうしていつまでも触れていられるなんて、あのとき思ってしまったんだろうなあ。あんなに近くで、笑ったり喋ったり、あるいは何も話さなくとも同じ空間で存在していたのに。
会えない、もう二度と、ほんとうに?
会おうと思えば会える、だけど会うべきでない、みたいなのもある。どんな理由も命にはかえられないと思っていたけど如何なる時でもそうだとは言いきれないということなのかもしれない。自分を納得させるためだけの考えかたかもしれない。
どうか最後まであの笑顔でいて。たぶん私なんかがこんなふうに祈らなくたって、あの人はたくさんの人に愛されていたから、幸せな最期を迎えるんだろうなとおもう。こういうこと考えてると、ほんとうに自分がなんのために生きてるのか分からなくなっちゃうな。考えてみれば、もう二度と会えない可能性がある人なんて今までに会ったことのある人全員を指すことだってできるのに。失くしてから気づく幸せとか、そんな簡単に言えるもんじゃないんだよ、毎日毎日繰り返し聴く音楽や、人との関わりの中でそんなの何度だって、そうだよな、ほんとうにそのとおりだって思って生きてきたのにこんなことになる。じゃあどうすればよかった?生きていくって、こういうことなのか。どんどん自信がなくなっていくなあ

 

もう二度と会えない、もう二度と、会えないのか

かなしいな

 

大切な

 

旅行をした。尾道に行ってきた。

ほんとうにうつくしい街で出会うひとみんながやさしくて、初めていったときから私はあの街のことがだいすきになった。いますぐには無理だけどいつかあそこで暮らしたいと思っている。今回は高校からの友人と二泊三日での滞在だった。また後日暇ができたら細かく書いて残しておきたいと思っているけど、いまは細かいことは書かずにとどめておくことにする。

今一番わすれずに書き留めておきたいのは、滞在中とにかくずっとさみしかったことだ。確かあれは去年の冬で、たまたま入ったつけ麺屋さんで飲んでいたサラリーマンが尾道のことを教えてくれて、初めてあの街に辿り着いたときのこと、あのときの空の色、空気のにおい、陽射しのやわらかさ、一緒にいた友達と話したことば、たくさん思い出した。そのあともずっとあの場所のことわすれられずに今年になってからもまた別の友達と尾道を訪れた。そのときのことも、私はちゃんと覚えていた。今回で尾道に来たのは3回目で、一緒にいたひとは3回とも違うけれど全部ちゃんと、ひとつひとつ覚えている。覚えている、どれも全部大切な思い出だった、これからもきっと何回も思い出す。あの街で出会ったひと、一緒にいた友達、地元に帰って話したひとみんなが忘れていってもたぶん、私は忘れずにずっと覚えている、やさしくしてくれたこと、懐かしい空、知らないひとたちのそっけない生活のいとおしさ、私が見て感じたすべて。ぜんぶさみしさに置き換わってしまいそうだけど、そうなったって、ただ、忘れないように、たいせつに覚えていたい。あの街がすきだということは、みんなのことがすきだってことでもあるんです。さみしい。おやすみ

無意味

 

天気が悪いのが続いてるのと肌寒くなってきたのもあってほんとうに気が滅入っている。嫌いなひとが幸せそうに今も生きていることや、生活の中で目に入ってくる人間同士の摩擦みたいなもののことばかり考えてしまってゆっくり心が死んでいく感じ。すきなひとたちのことでも考えるか、と思って色々思い出して明るいこと考えようとしたのに極限まで気が滅入ってるせいでこの期に及んで友達の泣いていた姿や自分の傷ついたときのことばかり思い浮かべていてほんとうにどうしようもない。だからもうそういうののこと考える、嫌いな奴の顔を思い浮かべるより幾分ましだろうと思う。

自分の生きていることやっていることに意味なんてあるのかと泣いたひとがいた。そうやって私の前で涙をみせてくれたことこそがそのひとが生きているということを何よりも強く証明していたし、その涙に暮れる姿の奥に、燃えることをやめられない火がまだちゃんと灯ってるのを私は確かに見ていた。そのあかりを、あたたかさを、揺らめきをまもるために、私になにかできることがあるだろうか、怯えてしまわないようにそっと寄り添って、すこしでもその手よりも高い体温をもって、その肩だけにさらされているのであろう冷たい風を凌いでやることができたら。そう思ったけどそのやりかたがわからなかった。ごめんなさいとおもう。必死に生きている、生きようとする姿を私なんかにみせてくれたのに、なにも返すことができなかった気がする。
自分ですら「こんなこと」と言ってしまったことが、そのひとにとってどれほど大切なことだったか。ひとが涙をながすのは、死の一歩手前で起こる現象のように思う。そんなにも大きな現象を体が起こしているのに、それが「こんなこと」な訳がないのだ。
きっと冷たい風を、隣にいたって相手とまったくおなじ冷たさで感じることは不可能だとわかっている。私たちは絶対的に孤独でひとりで、だけどそれならすこしでも近づきたいし、願わくば同じだけ歩み寄って距離が縮まるその感覚を感じたい。たとえそれが自分ひとりの思い込みだったとしても、その安堵感だけできっと涙だって流せるし、このさきも生きていこうと思えるのだから。

昔大切に思っていた友達と喧嘩をしたとき、自分が使える言葉の無力さを痛いほど感じたままただその場に立ち尽くすしかなかったのを覚えている。話せば話すほど伝えたいことの核の輪郭はぼやけて遠ざかって途方にくれて、言葉のすきまで無意識に相手との距離を測ることに意識が向いていた。そしてその自分の行為にさえ傷付いて、そうやってつくった傷は今でもずっと残りあらゆる状況や記憶がある一点で交差したとき、身体のどこかもわからない場所(この場合 こころ なのかもしれない)が無意識に反応して、かすみつつある痛みをすこしだけ鮮明にさせる。
今のこの感覚を当時ちゃんと相手に伝える力を持っていたらわざわざお互いに傷つくこともなかったのかなとか、そんなことを考えている。なにも意味なんてない。

なにも意味なんてないな。

 

2018/7/6 am5:13

 

仕事が終わったのが昨日の22時前くらい、そのまま自分の家には帰らずに友達の家にきて、いま朝の4時半を過ぎたところだ。彼女とは高校の部活が同じで、もう7年の付き合いになる。最近お互いにひとり暮らしを始めたのでどちらかが電話を急にかけては夜中に相手の自宅におしかける、みたいなことをしている。今回は初めて私が彼女の家に泊まりにきた。たわいのないことをぽつぽつと話していたのがいつのまにかふたりとも眠ってしまって、それから私のほうがはやく目が覚めたようだ。
ここは3階だから遠くのほうが見渡せてとても良い。窓のそと、手前は住宅地で民家が密集していて、それをずっと辿ったいちばん奥のほうには工場地帯がみえる。日が昇り始めて薄明るくなってきた地平線に直線だけで構成された工場地帯のシルエットがしずかに浮かび上がっていて、なんだか現実味のない光景だなとおもう。
昨日はずっとどしゃぶりの雨が続いていて、私の家は高台にあるから水害の心配はないけど携帯に何度も避難勧告の通知が来ていた。予報によるとどうやら今日もこの辺りはひどい雨が続くみたいだ。今は雨は止んでるらしい。屋根からしずくがぽたぽたとおちる音と、車が道路の水溜りを踏んで走る音が聞こえる。
この部屋に泊まりにきたのは今回が初めてのはずなのに、なんだか以前にもこんなことがあったような気がする。自分の部屋じゃないところにいて、しずかで薄暗くて、遠くの方から車の走る音が聞こえる、近くに人がいるけど自分しか起きていなくて、なんだかどこか現実じゃない場所に迷い込んだみたいに心細くなるような…だれといたのか、どこにいたのかはっきりと思い出せない、というかそもそも現実に体験した思い出なのか、いつかみた夢の中の出来事なのかもよくわからない。でもなんだか、この心細さを私は知っている。知っていて、知っているはずなのに思い出せない。これは他人には見向きもされないささやかなこころの揺らぎ、とか、なんの意味もないようなことだ。別に意味をさがす必要なんてないけど、どんなに丁寧に辿っても到達点がないようなこのなんとも言葉にし難い、些細な感覚の重なり合いが、いまの自分にとってとても大切なものと私のこころとを引き合わせてくれているんじゃないか、なんてことをぼんやりと考えてみる。
気がつかないようなゆるやかさで太陽が昇ってきている。薄暗かった部屋に、オレンジ色の光が徐々にさしこんできていた。この心細さも太陽が昇りきったころにはすっかり忘れているだろうかと思うと、なぜか心がひり、と痛む。
背後からきこえていた寝息のリズムがすこし変わったのを感じる。数時間前に設定した携帯電話のアラームがもうすぐ鳴り出す頃だ。ひとりで起きている間、とりわけ意味もなく心細かったことは彼女には話さないまま、きっといつまでも私だけが覚えている。

 

ねむれない


実家は車で10分くらいだからひとり暮らしはじめてからも週に一度くらいは帰ることにしている。実家を出るまで一緒に暮らしていたおばあちゃんがすこしぼけはじめている。私はおばあちゃんの作るごはんはほんとうに世界でいちばんおいしいと思っていて、それくらいおばあちゃんは料理が上手。わたしが小さかった頃から水墨画を習っていて家の床の間にはいつもおばあちゃんが描いた美しい絵が飾られていた。旅行がすきで、よく姪御さんたちと日本海の方へ旅行へ行っていた。きれいな白髪で、いつも自分で丁寧にお化粧をして出かけていた。ほんとうにこのひとと私は血が繋がってるんだろうか、と思うほどにすてきなおばあちゃんだ。けど、最近は椅子に座ってぼうっとしていることが多いらしい。昨日と今日、実家に顔を出したけど、毎日おばあちゃんの介助をしているお母さんからそういうような話をきいた。毎日ぼうっとして座っているのは腰が痛くて動けないからだけどそれだけじゃなくてやっぱり頭のほうもすこしぼけてきてるとおもう、と。おばあちゃんの様子を私も見て、たしかに、とおもった。母も姉も私も介護職なので80をすぎたお年寄りはこんなものだろう、という感覚が共通してある為にこれくらいのことでは驚かないけど、あのしっかりしていたおばあちゃんが、という気持ちはある。今年のお正月には、すこししんどそうだけど毎年恒例行事としてお節を作る為に台所に立っていた。でも今は掴まり立ちすることも大変そうだ。お風呂もトイレも毎日お母さんがおばあちゃんのことをずっと気にかけている。わたしは最近仕事中にもおばあちゃんと利用者さんを重ねてしまってふいに涙がでてしまいそうになることがある。姉も同じようなことがあるそうだ。毎日介護施設にパート勤務をして帰宅してからもおばあちゃんの介護をしなければならないお母さんのことも心配だと姉と話した。お母さんはおばあちゃんの状況を笑って報告してくれるけどきっとかなりしんどいと思う、私と姉に気を使わせないようにしてくれているようなきがする。お父さんもなんか今までよりも家族への接し方がまるくなったかんじがするのはいいことなんだろうけど、そうならざるを得ない状況に家族がなっていってるんだなとおもうとなんだか切なかった。
もうこわくてたまらない。ほんとうは、こわい、といって誰かに泣きつきたい、叫びたい、たすけてほしい、のかもしれない、わからない。私は元気だ。家族もまだみんないる。けど、いつか、みんな、大事な人たちみんな、だめになってしまうのか、と思うとくるしくてこわくて、まだそんなこと考えるには早いと思うけど仕事柄やっぱり考えることをやめられない。
みんな生きていてほしい、としをとるのは大切なことだけど、いまはなんだか、どうしてもくるしい、時間が進むのはあまりにも早すぎる

忘れないために


これは仕事だ
数日前まで車椅子で自走しながらみんなを見まわしていつもにこにこと仏さまのような笑顔をみせてくれていた利用者のおじいちゃんが、昨日会いに行くともうこちらが何を言ってもベッドで横になったまま虚ろな目で「ハイ、ハイ。わかりました。」という言葉しか発しなくなっていた。名前を呼んでも、しんどいですかだいじょうぶですかと声をかけても、「ハイ、ハイ」。壊れかけの機械みたいだと思った。目やにがこびりついた目尻からは微かに涙が伝って頰に線を作っていたが、皺だらけの乾燥した肌に吸収されてシーツまで落ちずに途中で途切れている。眠っているのか起きているのか、彼の目に私はどう映っているのか、半開きの瞼をみつめながらいろんなことを考えた。今月末に施設から外出する計画があって私は彼の付き添いを任されていたけれど、このままだときっともう、その頃には。職員が少ない上に忙しくて普段はなかなか施設の外には出られないから、きっと喜ぶだろうなと思っていたんだけど。私が着替えやトイレを使うのを手伝うたびに「すんませんな、ありがとうございます。いやあ情けないなあ」と申し訳なさそうにしながらもはにかんだ、あのしわしわな笑顔がだいすきだったな、彼はもう二度とあんなふうにわらってくれないんだ。数日前まで確かに存在しただいすきな表情と、ベッドに横たわる現在の彼とをならべると、喉のおくのほうがしずかにひりひりと痛むような感覚がした。
ひとって、死ぬんだ。ひとって、ほんとうに死んじゃうんだな。
死がもう目の前にあるひとのすがた、おだやかにゆるやかに小さくなっていく呼吸の波をじっとみつめていた。
彼は他人だ、家族じゃない、これは仕事で、すこし前にもだいすきだった利用者のおばあちゃん顔を見られないまま亡くなっちゃったし、きっとこの先なんどもこういう瞬間に出会っていくんだろう。そしていつか、自分の家族のことを看取るときもくる。
ないてしまいそうだ。ひとがひとり消えるってすごいことだ、と、ぼんやりとおもう。
目の前の生きものの心臓が、まだうごいている。いつか、もうすぐ、うごかなくなる
うごかなくなっちゃうんだなあ

 

 

 

五年

 

忘れるな、と言われているようなきがする

許せない、許すな、忘れるな

あれから何度も霞んでは浮かび上がる「許せない」は、いつからか当たり前のような顔をして酸素や血液の循環といっしょにおれのからだじゅうをはしりまわっている そしてある部分を通過するとき、ひとかけらのガラス片が混じってたみたいにおれのことをちいさく、けれども確実に引っ掻く、その一瞬、そいつとおれはひとつとひとりとして互いを明確に意識する

不意を突かれて痛んだそこに思わず手を当ててみると既にもうそいつはかたちを失くして何事もなかったかのように全身へと散らばってゆき、そして再びおれと同化する、

した、ような


ゆっくりと息を吐く


愛おしさと憎悪とが交差したその一点に、こころはやはり、心臓にある という確信

未だに、目の前できみが しあわせだ と、それはそれは絶望的なほどに甘ったるくほほえむ悪夢に襲われている
 
おれは二度と、きみの心臓にさわれない