がくしゅうちょう

書いて残す

天気はいいけど風がつよめ

 

年が明けてから倉敷に行ってみたり友達と広島にいってみたり、なにか形にして残しとかなきゃなと思ってはいたけど、そのときのことを思い出すとなんだかどうも気持ちがザワザワしてしまってじっとしたまま文字を打ち込むという行動に向かうことができず、結局自分で撮った写真と断片的な記憶だけが私の手元に残っている。ほんとうに私はものを作り出すということに向いていないんだなあと残念な気持ちになるのと同時に、なんだか妙に納得している自分がいることに気付く。

 

広島にはまた行きたいな。とても素敵なゲストハウスを見つけてしまって、地元に帰ってきてから約1ヶ月間そのことばかり考えている。一目惚れみたいな類のことはしたことないけど、きっとこういうことを言うんだろうな。泊まってみたいなあ。近所のおばちゃんに縄跳びの縄を回してもらうのをねだる小さな子供たちの楽しそうな声の横をまた歩きたい。あの商店街にまた行きたいな。あんなに静かに過ごせたのは平日だったこともあるんだろうなあ。仕事の都合で今すぐには行けないので、どのタイミングで休みをとるかが重要だ。よし。

 

 

仕事といえば、広島から帰ってきた次の日は再就職した介護施設への初出勤だった(再就職なので細かく言えば初出勤ではないけど)。

一度やめてしまった職場だったのでなんだか申し訳ない気持ちで出勤していた。でもみんな優しくしてくれてどうにか馴染めたと思うし、今ではすっかり1年半前働いていたときの感覚が戻ってきている。

 

仕事が楽しいというとまたすこしニュアンスが違うなあと思うんだけど、心が荒んだり酷く沈んだりすることもなく、わりと穏やかな毎日をすごしている。1年半前も同じことをしていたし同じ私なのに、そのときとは全く違うことを感じる。

 

1年半前と今とで違うことは、想像することが多くなったことだと思う。

今の職場では、色んな利用者様やその家族様とお話をする。利用者様の中には、世話をする家族の方が忙しくて施設に預けざるを得ないという方もいれば、複雑な家庭内の事情を抱えて入所や宿泊をされる方もいる。

昨日、ある利用者様が新規で宿泊された。最初はこちらの言葉掛けに頷く程度で、発語が難しい方なのかな、と思った。それでも体調を伺ってみたり介助の際に言葉掛けを続けたりして、職員はあなたを気にかけていますよということを何度も伝えるようにしていると、すこしずつその方のほうからお話してくれるようになり、(この場で詳しく書くのは省くけど)持病もあり家族も色々と忙しく、前にいた病院では寂しさと不安で息をするのも苦しかったと話してくれた。私が退勤する直前に、「ここにいると安心するわ、ここの人みんな優しくしてくれて」と言ってくれて、それがあまりにも心からの言葉だったので私はなんだかそれだけで泣いてしまいそうになった。

すべての人にそうすればいいとは限らないけど、こちらの問いかけに反応が返ってこずあまり人と話したくない方なのかなと思ったときにそこで距離を置いてしまわなくてよかったと、退勤後帰り道の車の中で思った。きっと1年半前の私なら、すぐに距離を置いてしまっただろうなあ。

想像力が必要だと思った。今の仕事をする上では職員が自分のことで精一杯になってはいけないなあと、今になってやっと思えたし、それはべつに仕事に限ったことではないんだろうなあ、とぼんやりと考える。

 

穏やかな毎日を自分が過ごせていても、かなしいとかさみしいとか、そういうものがいつもすぐ側にあることに対して鈍くなりたくはない。今のあたたかい職場に戻ってきてから、ぬるま湯に浸かるとはこういうことだな、と、ほんとうにそういうことを思うようになった。ここに戻るすこし前に私がいた場所には刺すような光や深い闇みたいな人やものが混在してるようなところだったから、なにかと敏感にならざるを得なかった。

 

鈍ったらだめだと常に思う。私は小説家でも芸術家でも音楽家でもないから、鈍ったからといって良い作品が作れなくて困るなんてことはないけど、ささくれ立つようなあのどうしようもない心の感じ方を私なりに知っているつもりだからだ。凝り固まった考え方で頑固になるわけではなく、そういうことを知っている自分の中の芯を信じてみたい。生きることに関して下手だし不器用だしほんとうに自信がないけど、自分なりに。

 

仕事をすることも旅行に行くことも、今はその為なんだと思う。素敵なものに出会って、嫌いなものをたくさん見つめて、結局は私だけが満足するんだろう。でもたぶんそこには、私の大事なひとたちのことも含まれてる。

 

 

 

 

あと普通に、

奨学金を完済するために、馬車馬の如く働こうとおもいます。

 

 

(-ω-)