がくしゅうちょう

書いて残す

やさしいひと

 

私があの夜、確かにうけとったもの
やさしい言葉とやわらかいひだまりみたいな眼差し 手のあたたかさ あなたと離れるのは寂しい と流してくれた涙が 今も確かな温度で私の中にも流れ続けている

 

私の生きた時間を4倍したって届かないその年月を生き抜いたあなたから何気なく零れ落ちたことばや仕草が、悲しみや寂しさの瀧をきっといくつも潜り抜けてきたことを証明していたように思います
私たちは何度顔を合わせても、いつもはじめましてだった
あなたは私の名前を覚えられない だから私は何度も名乗らなかったけれど、いつもちゃんと私のことをみてくれていた
学生じゃなくなってしまった、もう社会人なんだし、子供じゃいられない と悟った大人の顔を不器用に作ろうとする私のその青さを 慈しむようなやわらかい眼差しで いつもあなたは見つめてくれていたのではないでしょうか

 

お別れする前 あなたは裏の白い広告とマジックペンを私に渡して こうおっしゃった
“あなたの名前と住所をここに書いてちょうだい 私はすぐに忘れてしまうから 忘れないようにここに書いて”
きっと書いても忘れてしまうだろう でもいま目の前に確かにいるあなたがこうして私のことを思ってくれていることがなによりも尊いことに思えた
私は自分の名前を大きな文字で、よみがなもつけて、住所は町の名前だけ、そして最後にまた必ず会いましょうね と書いてあなたに渡した
私の下の名前を声に出して読んで かわいい名前ねえ と、褒められたのは私のほうなのに なぜかあなたはとても嬉しそうに笑ってくれた

 

あの広告の切れはしも今あなたの手元にあるのかどうかわからない 手元にあったとして、それに書かれた名前と、私の顔や一緒に過ごした記憶があなたの中に残っているか わかりません
けれど、私は忘れない
私は覚えておくことができる 幸いなことに
あんなにあたたかくやさしい言葉やきもちをもらったこと 一生失くすものかとあのとき心に決めました

 

あなたの部屋にある旦那さんの写真に供えていた飴やらチョコレートやらを、なにか形見になるものがあればよかったんだけど と言いながら丁寧に包んで渡してくれた、あれは未だに大事にしまってあります そろそろ夏だし溶けてしまわないか心配だけれど

 

また会いましょうと手を握り合った その “また”が来る可能性というのはどれくらいあるのか そんなことを思う
あなたはあとどれほどの時間を生きていてくれるのか 私はあとどれほどの時間を生きていられるのか
もしあなたが私の知らないうちにこの世界からいなくなってしまったとして 私に知らせが来ることはきっとない
また会いましょう の約束は宙ぶらりんで私だけが握りしめて生きていくのかな
先のことは考えたってわからないのですが


私は今という時を生きていて 幸せです、そのなかのいくらかはあなたがくださったものです

私のことを忘れてしまわれていても平気ですがただ、どうかあなたも、幸せでいてくださいますように

 

いつか必ずまた、会いたいです

 

会いたい