がくしゅうちょう

書いて残す

さむくなってきた

 

冬だ、ふゆがきちゃうなあ

 

仕事が終わりごみ出しで外に出たとき、思わず うわっふゆだ と口に出して言ってしまった。空気がつめたかった。金木犀のにおいも1年ぶり。なつかしい。忘れかけたころにちゃんと季節は巡ってくるからほんとよくできてるよなあ。思い出すのは去年のことのような、ずっと昔のことのような。幼稚園のとき、この時期になるとお母さんと一緒に園につくまでの道に金木犀の木が何本あるか数えながら歩いた。銀木犀ってのもあるよな。小さいころ、オレンジ色と白色の花をそれぞれ金、銀と呼ぶことに感心した記憶がある。

 

空気がつめたくなってくるとさみしくてたまらなくなるのは毎年のことだ。べつになんてことないんだけど。いつからそう思うようになったか覚えてない。いつからだったかなあ。さみしいさみしい、さみしいってずっと思い続けていたら、何に対してそう思っていたのか、そもそもそういうきもちを向ける対象があったのかどうかすら、なんだかわからなくなってしまった。かなしいわけでもない。かなしいんだったとすれば、誰かにはげましてもらえばなんとかなってしまうのかなあ。さみしいってのは、ほんとうにどうしようもないな。何が原因か、わからないし。

 

なんかたぶん、膨大な量の言いたいことがあるんだけど、何をどこに向けて言いたいのか、自分でもさっぱりわからない。喉までせり上がってきたそれが音になる直前で、どこに向かおうとしていたのかを忘れる。わからないとか思い出せないってのが、さみしいのかな。自分のまんなかにあるものを、ぴったりのことばで、誰かに言い当ててほしいのかもしれない。

 

外、あめ降ってるな。お向かいの家の金木犀のちいさい花たち、近いうちに散っちゃうかな。そしたら次にあの香りに再会するのはまた1年後だ。それまでにまたゆっくり忘れて、同じように思い出す。思い出す。おもいだす。

 

さむい。今日も仕事だ。
なんとかなりそう。
あめ、ちょっとやんでほしい。