がくしゅうちょう

書いて残す

音楽と信頼


だいすきな音楽を作ってくれていたひとが突然いなくなってしまうこと。いつか私にもそのときがくるんだなあ。
細美さんのラジオをきいた。細美さんがだいすきだったというクランベリーズのボーカルの方が亡くなったらしい。細美さんの震えた声を聴いて、なんだか、未来の自分の声を聴いたようで、胸が苦しかった。会ったこともない人の訃報で涙をながすこと、不思議なことだとおもう。でもきっと、確実に、いつか私も同じ思いを経験するんだろうな。
だいすきな音楽って、いつのまにかほんとうに自分の一部になっちゃう。音を聴いて、歌われていることを1日に何度も反芻したりして、そうそう、私が信じてるのはこれだ、って確認する。自分のこころの大事な一部分をみつける。そういうのを繰り返してるうちに、何かに迷ったとき、勇気がいるとき、あの歌を聴いたときのきもちが軸になって判断をする、みたいなことを無意識にやってる。
私のだいすきな音楽は、自分たちがつくる音をなによりも信じているひとたちによって作られているし、そんな音楽をすきでいられていることを私は誇りに思っている。作り手のひとたちに私は直接会ったことはないしもちろん言葉を交わしたことなんてないけど、ちゃんと届いている。というか、届いて受け取れてると、私が勝手に信じている。
音楽はいろんなものを飛び越えてきてくれるからすごい。距離とか時間とか。私はあの音楽を心底信頼していて、それを作ってるひとたちのこともやっぱり信頼している。会ったことも話したこともないひとのことを大切に思っている。変な話だよなあとは思うけど、ほんとのことだ。
私のだいすきな音楽のひとつであるバンプの藤原さんは、音楽さえ届けば自分たちのことは知らなくてもいい、忘れられてもいいなんて言ってしまうけど、それはやっぱり彼らが自分たちの音楽を心から信じてるから出る言葉なんだろう。いい音楽は、目に見えないものを心から信じようとするひとたちのまっすぐな想いから生まれてくるんだろうな。
細美さんも、クランベリーズの音楽やそれを奏でていたドロレスさんに対して、そういうことを思っていたのかな。孤独なときとかにずっと一緒だったって話してくれていたから、いま私が細美さんのつくる音楽に対する気持ちとおなじなのかな、私もいつもいつも彼らの音楽に救われて生きているから。だとしたら、やっぱりあの震えた声はいつかの私の声なのかもしれないとおもう。いつか、自分の一部を失ってしまったような喪失感のなかで、私はどんなことを言うんだろう。ラジオできいた細美さんのあの声みたいに、震える声でだって、心から大事だった ってちゃんと言えるといいんだけどな。

いなくならないでほしい。ずっと音楽をやって、生きて、できれば笑っててほしい。おかしいのかもしれないけど、私も、会ったこともないひとの幸せをほんとうに願ってる。細美さんが「こういう繋がりは、妄想なんかじゃなくて、」って言ってくれたのが全てな気がするなあ
今は自分がいなくなることより、大切なものやひとがなくなるほうがずっとこわい。もう二度となんにも無くしたくないのにそれでも大切なものができていくのは、私の心がつよく生きようとしているからだと思いたい。