がくしゅうちょう

書いて残す

ねむれない


実家は車で10分くらいだからひとり暮らしはじめてからも週に一度くらいは帰ることにしている。実家を出るまで一緒に暮らしていたおばあちゃんがすこしぼけはじめている。私はおばあちゃんの作るごはんはほんとうに世界でいちばんおいしいと思っていて、それくらいおばあちゃんは料理が上手。わたしが小さかった頃から水墨画を習っていて家の床の間にはいつもおばあちゃんが描いた美しい絵が飾られていた。旅行がすきで、よく姪御さんたちと日本海の方へ旅行へ行っていた。きれいな白髪で、いつも自分で丁寧にお化粧をして出かけていた。ほんとうにこのひとと私は血が繋がってるんだろうか、と思うほどにすてきなおばあちゃんだ。けど、最近は椅子に座ってぼうっとしていることが多いらしい。昨日と今日、実家に顔を出したけど、毎日おばあちゃんの介助をしているお母さんからそういうような話をきいた。毎日ぼうっとして座っているのは腰が痛くて動けないからだけどそれだけじゃなくてやっぱり頭のほうもすこしぼけてきてるとおもう、と。おばあちゃんの様子を私も見て、たしかに、とおもった。母も姉も私も介護職なので80をすぎたお年寄りはこんなものだろう、という感覚が共通してある為にこれくらいのことでは驚かないけど、あのしっかりしていたおばあちゃんが、という気持ちはある。今年のお正月には、すこししんどそうだけど毎年恒例行事としてお節を作る為に台所に立っていた。でも今は掴まり立ちすることも大変そうだ。お風呂もトイレも毎日お母さんがおばあちゃんのことをずっと気にかけている。わたしは最近仕事中にもおばあちゃんと利用者さんを重ねてしまってふいに涙がでてしまいそうになることがある。姉も同じようなことがあるそうだ。毎日介護施設にパート勤務をして帰宅してからもおばあちゃんの介護をしなければならないお母さんのことも心配だと姉と話した。お母さんはおばあちゃんの状況を笑って報告してくれるけどきっとかなりしんどいと思う、私と姉に気を使わせないようにしてくれているようなきがする。お父さんもなんか今までよりも家族への接し方がまるくなったかんじがするのはいいことなんだろうけど、そうならざるを得ない状況に家族がなっていってるんだなとおもうとなんだか切なかった。
もうこわくてたまらない。ほんとうは、こわい、といって誰かに泣きつきたい、叫びたい、たすけてほしい、のかもしれない、わからない。私は元気だ。家族もまだみんないる。けど、いつか、みんな、大事な人たちみんな、だめになってしまうのか、と思うとくるしくてこわくて、まだそんなこと考えるには早いと思うけど仕事柄やっぱり考えることをやめられない。
みんな生きていてほしい、としをとるのは大切なことだけど、いまはなんだか、どうしてもくるしい、時間が進むのはあまりにも早すぎる