がくしゅうちょう

書いて残す

何もかもぜんぶだめなときの自分記録

 

もうだめだ〜ほんとに無理すぎる。もうだめだ死にたい、とか言い過ぎている。そんなことをいいながらもいや君はじゅうぶんがんばっているよと言ってほしいだけ、という気もするし実際そうだと思う。わたしの感性はわたしだけのものだということはわかっているし、なんども自分でも確かめて、だいすきな音楽とかにも確かめさせられて、うんうんそうだ、私は私だけのものだ、大切にしないとってやってきたけどどうしてもどうしても、自分はすべてが間違っているみたいな考えがわきあがってとまらない。それはぜったいあれよ、自分をすきになる努力みたいなものをしてこなかったからであってすべては自分のせいなんだってことがわかってしまっている。周りと比べたってどうしようもないとかももう何度も考えたし言ったし言われたし、でも無理でしょそんなの、って思う。無理でしょそんなのって言ってくれる人がいるのも知ってるけど。でも仕事とかいろいろ、ちょっとばかり自信があっていやこれ私にしかできんやろとか思っていたことでも、たとえばそれを誰かに話したとき、その話をした相手に対してマウントを取ろうとしてるようなそぶりをちらつかせている自分に気づいてしまって、そうしたらもう全部がだめになる。こんなにいいところが自分にはある、とか、私はこんなことができる、とかを話している自分のことが話している途中から気持ち悪くて仕方なくなって、最後にはもう泣きそうになっちゃってるな。がんばって最後まで話してみるけど、時間が経ってからそのこと思い出しては死にたくなる。やめとけばよかった話すんじゃなかった相手の話だけきいとけばよかったとか。わけがわからないな。ひとのそういう話をきくのは全然大丈夫、すきなひとたちの嬉しかった話とか、こういうことを頑張ってるんだっていうのはほんとうに素敵なことだなって話を聞くだけで泣けちゃったりするしそれは自分のほんとうの気持ちなのに、それと同時にそんな素敵な人たちがなんでこんなクソみたいな自分の近くにいてくれてるんだろうって急に怖くなったり(周りにいてくれる人は自分を映すっていうけど、それなら自分のこともっとすきなはずだよな、みんなほんとうにすごくいい人なのに、だからって私が素晴らしい人間かっていうと全然全然全然そんなの無理)、認めてほしいすごいって言ってほしいって気持ちが心の奥底で暴れ狂ってるのを相手に気付かれていないかいつもヒヤヒヤしていていつかこんなのもぜんぶバレて嫌われるんだろうなみたいなこと考えてる。考えすぎか?考えすぎだな〜 承認欲求は悪いことじゃないっていうのもメチャメチャ知ってる。大事なことだ。人から認められるために生きてるんだから人間は。でもそれが自分なのまじでめっちゃ気持ち悪いなって思っちゃうのなに?考えすぎの病気なのか
こんなにがんばってるのに誰も見てくれてないとか文句いうくせに誰も見てくれてないところでもがんばるってことが美しいんだと思って行動してるんだから褒められたりしないのは当たり前なわけ。自分から人のいないところを選んでなにかをしてるのに、その誰もみてくれないことに対して文句言ってるのバカすぎるな、よく考えてみたら。そりゃそうでしょってかんじだ、でもなんか人がいるところでがむしゃらになにかしてるとがんばりをアピールしてる自分ってのがまた無理になってしまうんだな〜も〜死にてえ〜がんばりたいのに〜
なんでこんなことになってるんだろう。誰かからもらったうれしい言葉も謙遜しすぎるとかえって相手に失礼だって分かっている。私のことすきだって思って一緒にいてくれるひとたちから貰うものちゃんと信じないと、それこそずっと一緒にいてもらうなんて不可能だって分かってるんだけどな〜今みんなのことが大切すぎて、いつかさよならしなきゃいけなくなったときに自分が傷つきたくないだけなんだなたぶん。私がすきな人たちには、私がどれほどあなたたちのことがすきかってちゃんと信じてわかっていてほしいと心の底から思っているのに。口先だけでそういうふうに言って実際は怠けてる、いろんなこと。
ほんとに死にたい。そういう時期かな。そういう時期なんだろうな〜ウワ〜死にたいな〜
もうなにもわからないからはやくすべてわかる人になっちゃいたいな〜
もっと気楽にいけよ大丈夫だから!と言ってやれよ、がんばれよ、生きるのはほんとうに大変でしんどいなあ