がくしゅうちょう

書いて残す

忘れないために


これは仕事だ
数日前まで車椅子で自走しながらみんなを見まわしていつもにこにこと仏さまのような笑顔をみせてくれていた利用者のおじいちゃんが、昨日会いに行くともうこちらが何を言ってもベッドで横になったまま虚ろな目で「ハイ、ハイ。わかりました。」という言葉しか発しなくなっていた。名前を呼んでも、しんどいですかだいじょうぶですかと声をかけても、「ハイ、ハイ」。壊れかけの機械みたいだと思った。目やにがこびりついた目尻からは微かに涙が伝って頰に線を作っていたが、皺だらけの乾燥した肌に吸収されてシーツまで落ちずに途中で途切れている。眠っているのか起きているのか、彼の目に私はどう映っているのか、半開きの瞼をみつめながらいろんなことを考えた。今月末に施設から外出する計画があって私は彼の付き添いを任されていたけれど、このままだときっともう、その頃には。職員が少ない上に忙しくて普段はなかなか施設の外には出られないから、きっと喜ぶだろうなと思っていたんだけど。私が着替えやトイレを使うのを手伝うたびに「すんませんな、ありがとうございます。いやあ情けないなあ」と申し訳なさそうにしながらもはにかんだ、あのしわしわな笑顔がだいすきだったな、彼はもう二度とあんなふうにわらってくれないんだ。数日前まで確かに存在しただいすきな表情と、ベッドに横たわる現在の彼とをならべると、喉のおくのほうがしずかにひりひりと痛むような感覚がした。
ひとって、死ぬんだ。ひとって、ほんとうに死んじゃうんだな。
死がもう目の前にあるひとのすがた、おだやかにゆるやかに小さくなっていく呼吸の波をじっとみつめていた。
彼は他人だ、家族じゃない、これは仕事で、すこし前にもだいすきだった利用者のおばあちゃん顔を見られないまま亡くなっちゃったし、きっとこの先なんどもこういう瞬間に出会っていくんだろう。そしていつか、自分の家族のことを看取るときもくる。
ないてしまいそうだ。ひとがひとり消えるってすごいことだ、と、ぼんやりとおもう。
目の前の生きものの心臓が、まだうごいている。いつか、もうすぐ、うごかなくなる
うごかなくなっちゃうんだなあ