がくしゅうちょう

書いて残す

抱きしめ返してあげる

 

苦しい〜

生きづらくて死にそうな気がするやつが来た

なんなんだ世の中〜!おい〜!


おいおい〜〜〜〜


とはいえ、生きづらくて死にそうみたいなやつは、大半はいろんなことに対して斜に構えがちな自分の性格が原因なことが多いからまあ落ち着きなって感じ

↑このようなことを考えがちな時期が今年もやってきたわけだけれども、それでも希望を見失うな、優しい人に優しくしてもらったことを思い出しながら日々をただ変わらずこなせ、怒りや悲しみの感情で暴走するな、と、おのれに言いきかせながらなんとか……

 

怒りや悲しみの感情って大事だけどまじでやばいから、出力間違うとえらいことになるので自分の激しい感情に対しては常に冷水かけながら様子をみつつ付き合っていったほうがよさそう

 

あとあんまりこうあるべきって自分に言い聞かせすぎない方がよさそう、今は自分の感情に冷却水かけてやれる段階だからいいけどもしかしたらこの先自分に対するこうあるべき像を他人にまで求めて責め始めてしまいそうな気がするし過去にやってしまった自覚ある


あと私はたくさんの人々と話をしたほうがいいきがする、そういう時期な気がする、最近内側で会話して答えを出そうとしがち、そもそも答えはないので、白黒ハッキリする物事なんてこの世には存在しないので、自分で見たものから自分で選んでそのときの最良を決めること、それらの選択は当然後々の経験を経て変更可能であること、自分の決めたことに無責任とは別に柔軟であること

 


先週おばあちゃんが死んじゃった

お葬式で飾ってたお花を分けてもらって玄関に置いてるんだけど家を出入りするたびに百合の花のあまい匂いがすごくて、これから先の人生百合の花の匂い嗅ぐたびに今のこの、みぞおち辺りがぐぐぐとなるような寂しい気持ち思い出すんだろうな

お花すごく長持ちしそう。持って帰ったとき蕾が多かったからすぐだめにはならないだろうなと思ってたけど

でもさこんなに悲しくても全然普通の顔で普段通り仕事にもいけるしすごいよな、私でこうなんだから他人がどんな想いを持って日々生活してるかなんてわかるわけないじゃんね


抱きしめてあげようか!って言ってきた人ってもしかしたら抱きしめてほしかった人なのかもしれん

後悔と反省がすごく…交互にやってきて…

お腹がいたくなってきちゃうが

やさしい人間でいたい、

自分が根本からやさしさで出来上がってる人間でないことはもう分かってしまったのでもう憧れの人は追わないけど(前めちゃくちゃ憧れ追っててその時の自分結構きもかった気がする、それを経ての今なので消えろとは思わんが)、それでも自分の基準でちょっとでもやさしくなれたらいいなと…思うけどやっぱり難しいきがする


世界まじ、優しい人のおかげでまわってるね

いつもありがとう 優しい人たち

私も何かできるといいんだけど

まあ何もできなくてもいいとも思うんだけど

おばあちゃんのお骨拾いながら何もできんでもええんよな〜って考えてた

 

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はあ〜大事にしないと、自分のこと

大丈夫大丈夫、大丈夫だよ〜って

自分のこと信じるってやつをやってみな〜

 

 

アラサーのみなさんお元気ですか

 

いやなんかほんとこう日が落ちるのが早くて気温も下がってくると死にたさのブーストがすごいな

夏の暑さがこの世で1番無理だけど(とくにここ数年えぐい、1日中外にいる仕事だからよくわかるけど日差しがマジでレーザービームすぎる)秋冬の夜の長さってやっぱ精神的にくるものがあるんだろうな


私はクリスマスがだいすきでほんとうにその時期のために生きていると言っても過言ではないくらいなんだけど、もしかすると私が毎年クリスマスクリスマスって大騒ぎするのはこの冬場の精神の下落を麻痺させるための防御的な感情からくるのではという説が浮上してきた

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↑これは数年前クリスマスが好きすぎて全然クリスマスではない3月に自作したクリスマスケーキ(すごく上手、おいしそう)

 


は〜ほんとに。ずっと死にて〜という感じなんだけど何?今日もさっき仕事が終わってなんかわからんが超つらいから甘いものでも食べようかな三角チョコパイ2種類とか買って帰っちゃおっかなとか考えながら運転してたけどなんかそれすらつらくなってきて結局家に直帰して半べそな精神状態で雑炊を炊きながらこの日記を書いている(ってかたぶん三角チョコパイの爆食いを選択してたとしても食べてから太るじゃん!ばか!死ぬ!(泣)になってたと思う)


でもこれは鬱とかそういうのじゃなくて三十路手前の人類(とくにたぶん日本人特有の)が経験するよくあるやつなんだろうなという雰囲気を感じる


なんか謎に無意識な焦りがあるんだろうな、別に私はいまのところ早く結婚しなきゃとかそういう焦りはないが、親の老いとか将来のことを考えてウワ〜となる時期なんだろう

なんか最近まじで世の中ヤバいし(マジでヤバい、俺らの世代がしっかりしないとこのままでは日本社会の全てが崩壊するからちゃんとするぜ絶対に…という気持ちになる)余計に不安だ、すごく不安だ〜〜あ〜〜〜〜たすけて〜〜!

 


とにかく毎週パーティをするしかないのかもしれない、みんな、うちに集まって。毎回美味しいケーキを焼いてあげるからね。食べにおいで。

友達がいないわけでもないけど呼び寄せてすぐにうちに来れる距離のひともまあすくないのでかなしい、すきなひとたちみんな徒歩10分以内のところに住んでください

 


三十路前後ってやばいんだろうなみんな、精神が。私だけですか?そんなことないよね

前々からだが人生きびし〜〜ッスわ、みんなこんなんでよう生きとるね

 


私は流行に素直に乗れないタイプなので、いま世の中であらゆる物事を流行らせて金を稼ぎ人々を支配しようとしている陰謀者のボスからするとすごく厄介な存在だろうな、すみません。地球上の最後の1人になるまで流行りに乗れないままだろうから、最終的にいつか陰謀者のボスと一対一になる可能性がある、そのときに何を思いどう行動するのか…勝利をおさめ英雄となり新たな世界の創始者となるのかもしれないね

 


なんかこういうことを1人で考えるくらいヤバい、だれか救ってください

雑炊が炊けたので食べます

世の中のアラサーのみなさん強く優しく頑張って生きていきましょうね私もがんばりますね、

別に誰も読まない日記で何を言ってんだろう死にたい!

 

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昨日食べたおでんの残りのお出汁で炊いた卵とねぎの雑炊 おいしいね いただきます

 

 

 

AgustD ツアーファイナルをみた

 

 


AgustDのワールドツアーのファイナルをみました、現地ではなくオンラインの配信だったけど自分にとって大きな体験だったので、ユンギさんのことやユンギさんの作る音楽のこと、自分の感じたこと考えたこと、忘れないうちに書き留めておく記録

 

自分はもともと今まで聴いていた音楽のジャンル的に作者と作品は切り離して受け取る、または受け取ろうとするところがあったと思う

これは個人的に、あまり作者の人間性に対して過剰に好意を抱いたりもしくは拒絶する部分があったとして、その人物が生み出した作品自体に偏見を持つことをしたくないというのがある

もちろん作品は人間が作ったものなので作者の人格を知った上で鑑賞することで新たな気付きを得ることがあるのは承知の上で、まずファーストインプレッションとしてその"曲"自体が自分とどういう関係になるかが私にとっては大切、それと自分の性格が捻くれているからかもだけど、"〇〇(作者)が作る曲はぜんぶ神曲!!"みたいなのは好きではないので、そうならないようにしたかった


でもユンギさんの作る音楽の場合は彼がラッパーということもあると思うんだけど彼自身の人生そのものや経験が比喩などもほとんどなく直接的に起こった事実として表現されていることが多い、それもあって作者/作品で切り離すのはちょっと難しかった。こんなに特定の人物のことを意識しながら音楽を聴いたのは初めてだったかも知れない

 

AgustDとしての曲は特に痛々しいほど生身の人間の言葉で作られているから受け取るのに相当大きなエネルギーが必要だった

私が初めてちゃんと歌詞を理解しながら聴いたのはDear My Friendで、冒頭、きれいなメロディーだなと思って聴いていたのが、ユンギさんの語るように紡がれる言葉、淡々と語られていく声の奥底の方に煮えたぎる怒りや悲しみが聴こえてきてたまらなかった。並べられていく言葉と音の中に当時の彼の表情や仕草の情景が鮮明に見えてしまって、曲を聞きながら脳のどこか冷静な部分が"状況の描写がえげつなくうまい人だな"みたいなことを思いながら、目からは涙がぼろぼろ出ていたのを今も覚えてる


あの曲は私自身が人生で躓いたときの経験にもすこし掠る部分があって、ユンギさんの怒りや悲しみが自分の中にあった同じ類のものと共鳴して掘り起こされた感じだった。たぶんAgustDの曲を聴いてる世界中のファンの人も、そういう人が多いんじゃないかなと思うんだけど

そういう、過去の怒りや苦しさをたくさん含んで出来た曲を今の彼が自分のソロワールドツアーの最終日にたくさんのファンの前でぐしゃぐしゃの顔で泣き叫ぶように歌っていた姿、全曲やりきったあとにAMYGDALA のMVでは最後まで手が届かなかったドアから外の世界に出ていくときのあの優しい笑顔のラスト、私きっとこの先ずっと忘れないだろうな


ユンギさんのこれまでの人生って、もちろん彼だけがもつ記憶の方が圧倒的に多い前提としてもそれでもそのほとんどすべてをファンと共有しているから、どんな苦悩があって今の位置に立っているのかは公式で出ているコンテンツを辿ればほぼほぼ網羅できてしまうし、ひとりの人間の人生が丸々"コンテンツ"として世の中に提供されている(これはアイドル全般に言えること)ことは少し危険も孕んでいる気はするしそれがある種残酷な構造に見えることもあるかもしれないけど、今回のツアー全工程とフィナーレ、ツアー回ってる本人の表情をみてると、そんなマイナスな面よりもプラスになった面のほうが圧倒的に大きいんだなと感じた、演者も観客もお互いをよく知った同士がひたすらに愛情を与え合う光景だった

ユンギさんが他人には到底真似できないほどの熱量や誠実さで自分とも人とも向き合ってきた人だからこそ出来上がったあの空間だったんだろうな

 

最後にユンギさんがドアを開けることができて、あの満たされた表情でドアの向こう側に消えていくラスト、演出だとはわかっているけど、まさに今の彼が過ごしている人生そのものだった。ほんとにほんとの意味で、自分を幸せにすることができたんだね、ユンギさん…

心の底から自分自身のことを満たしてあげられた人だけが出来る、やわらかくてやさしい表情だった。愛そのものだった。あんなの絶対忘れられないなあ

私はなんか、自分が死ぬ直前にああいう表情ができたら幸せだなみたいなふうに思うのに、あれを30歳っていうまだ若者にも分類でき得る年齢で出来ちゃってるユンギさん、これからどこまで行くんだろう

 

大団円でツアー締め括ったすぐ翌日にユンギさんの兵役のお知らせがきたけど、これだけたくさんのことをやり遂げた人にもまだ未知の世界が待ってるんだな、なんかそれは希望でもあるようなそうでないような、私がこういう複雑な気持ちになってしまうのはやっぱり日韓や世界の歴史のことを知っている以上は切り離せないもので、だけど、それについて考えることや学ぶことをやめたり口をつぐむのは、してはいけないことだよなあと思う


資本主義や社会の構造とかについてもよく言及しているユンギさん、自分もその中に組み込まれざるを得ないこと、どう感じてるのかな、と思ってみたりする。これは私がbtsを好きだからということだけではなくて、これまでもこれからも若い男性たちが1番謳歌できるはずの貴重な数年を武器を持って国のために使うことについて、考え続けていく、考えるだけで喉の奥がつかえるような感じがするしこんなことを考えるしかできない自分に本当に嫌気がさすんだけど、日本人である私が彼らやその音楽を愛していくことと歴史上の出来事に向き合っていくことは何の矛盾もなく当然両立できることだと思うから

 


なんかいろいろ書いたけど与えるのも受け取るのも上手なユンギさん、ほんとにすげ〜という気持ち。世界中からあんなにいっぱいに愛を受けてそのぜんぶをああやって大きくやさしく抱きとめられる人いるんだね。本当に不思議。btsの皆さんみんなそうだけど、そんな人たちいままで生きてきて見たことなかった。正直今まで自分が憧れてきた人って何個も年上の人ばかりだったから、ほとんど年齢の変わらないひとに対してこんな気持ちになるなんて思わなかったな〜


1人で世界中回っていろんな国のいろんな景色を見せてくれたユンギさん、ツアーやってくれて本当に本当にありがとうお疲れ様です、世界中があなたのおかげで幸せですよって言いたい

 

楽曲自体もステージ構成も本当に最高で言いたいことまみれなのにやっぱユンギさん自身についてのことを多く語ろうとしてしまうからもうやっぱこの件に関しては作者作品を分けて考えるのは無理っぽいなって気がするな、音楽自体がユンギさんそのものなんだもんな


はあ、ああいう人に幸せでいてほしい、ユンギさんみたいな人がこれからもずっと笑顔でいられる世界が間違ってるはずないもん

私は私で自分のことを幸せにしてやらないと、今もわりと幸せだけどなんかもっと良い感じに……

死ぬ前にあんな表情でとは思ってたけど生きてるうちにできるんなら何回でもあんな顔で私も笑ってみたいし周りにいる好きな人たちにもそうやって笑ってて欲しすぎる


現代を生きていくの前途多難すぎるけどどうにかやっていこう、ユンギさんがドア開けて出て行ったあとスクリーンに浮かんだFuture's gonna be okayのこと何回も思い出してやっていこう

 

 

 

ぼんやりする

 

最近あらゆることがかなしくてかなしくてたまらない助けて〜!って感じなんだけどでも田んぼに水が張ってあるのとか至るところにいつのまにかぬぼ〜っと紫陽花が咲いてるのとか、そういうのみてるだけで幸せになれちゃうからなんとかやってる


最近幸せなことありましたか?とか聞かれたら町中に紫陽花咲いてるのをみたこととか、近所で田植えが始まったことって言う絶対


梅雨のジメジメしてたり蒸し暑い気候のことは嫌だ〜勘弁して〜と思うけど、紫陽花と田んぼがある景色はほんとにすきで、クリスマスや花見と並ぶ良さがある


田んぼは水面が自分と同じ高さにあるのがいいんだよね 私は水面のことが好きだから

海とか湖もいいんだけど…田んぼはなんか特別よくて…浅いから怖くないし。水辺のこと超すきだけど、海とかはなんか遠くに連れてかれちゃうようなおそろしさがある、奥に行くと深いのも怖すぎ。でも田んぼはそれがないので安心して近づけるね

水面が静かで、鏡みたいに空が映るのがすごくいい、見える空の範囲が2倍になる。晴れてたら尚いいけど雨でどんよりしてても全然良い 水面が畦道で区切られてるのも良いし、斜面で段々畑になってるのも最高

そこで作物が育つのも良すぎ 人工的ではあるのに自然と調和してる感じが良い、一緒に暮らして行きましょうねありがとうという気持ちになる

5月末くらいに田んぼに水が張られだすといつも干からびてる道の端の用水路にも水がいっぱい流れてるし、水を流すための設備にちゃんと水が流れてるさまがなんか、健康的で良いなと思う 田植えの時期の雰囲気がほんとにうれしくてうれしくて、前世でなんかあったんかな?梅雨の時期に。現世で梅雨生まれだからかな?


紫陽花もマジでいいんだよな

品種とかにはとくに詳しいわけでもなくてただの顔ファンみたいな感じなんだけど紫陽花を見るのすごいすき

晴れてるときよりも雨降ってるときのほうがきれいに見えるの、さすがこの時期に咲くお花だねって思うね

最近よく通る道にめちゃめちゃデカい白い紫陽花が咲いてるんだけど調べても品種がよく分からないんだよな まっしろまんまるのデッカいぼんぼりみたいな形で、花のひとつひとつが魚のひれみたいにしっかりしてて大きくて、ぼんぼり自体も人間の顔くらいあって茎が木みたいにがっしりしてるんだけど なんかすんごい強そうなのに花が純白だから可憐な感じもするのがすごい良い

ドライフラワーの紫陽花も一時期流行ってた気がするけどやっぱ生のやつがいいよ

鉢植えも良いけど地面から直接生えて木みたいになってるのがすきだな〜


なんかほんとに田んぼと紫陽花を見るのがすき

癒されるし、こういうとき幸せとかなしいが一緒に来る

前まで幸せとかなしいは一緒にくるなよと思ってたけど、なんかそういうもんだな、一緒だよね幸せなのとかなしいのはね〜というところまできたからそんなに困らなくなった


いろんな矛盾っぽいものも見る角度によっては全然両立できるんだって分かる今は、矛盾に少しの間耐えて考えて、両極にあったようなものでもどちらかを諦めたりなかったことにしなくたってなんとかなるんじゃんって、それで大抵のことは苛立ったり怒ったりしなくて大丈夫になると思うんだけど

心を平穏に保つためでもあるし、たたかうためでもあるじゃんそれは

紫陽花のぼんやりしたところがすき、どっちでもいいよ〜みたいな顔して咲いてるのがすき

枯れないでずっと咲いててほしいけどカンカン照りの夏に咲いてるのはちょっと似合わないもんね ひまわりとかがバッチバチに咲いてくれてる方が安心するもんな夏は

うまいこと入れ替わってやっててすごいなお花たち、ありがとうお花たち

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夏も好きなところあるけどなんせ暑すぎるから無理。仕事柄1日中外で過ごさないとだからほんとに干からびないようにしなきゃだ……去年は凍らしたペットボトル抱きかかえてお客さんのおうち回ってたけど今年もそれで乗り切れるかな〜年々暑くなってるから今年こそもう無理かも

梅雨やだけど明けないでほしいな〜夏飛ばしてほしい。素麺すきだから毎日素麺たべる季節ってことにしたら夏のこと受け入れられるかな?生活、工夫が必要だな〜

 

こういうこともあるし、そういうこともある

 

 


二十歳くらいのとき、好きだった音楽を仕事にしたくて高卒で働き始めた会社を一年半でやめて音響の専門学校へ入ったことがあった、結局自分には合わない事がわかったので2年ある課程を1年で見切りをつけて自主退学したんだけど、自主退学だって見る人からすれば挫折にみえるかもしれないが 私には私なりに理由があってものすごく納得している、そうするしかない選択だった 

自主退学する最後の日、ホームルームでクラスのみんなに挨拶をした ありがたいことに残念がってくれるひとたちもいて、1年間ありがとうございましたとみんなに頭を下げたときすごくすっきりしたきもちだった

そのホームルームが終わって教室を出ようと荷物をまとめていたときひとりの女の子が私に声をかけてくれた

 

仮入学でひとりでいたとき1番に声をかけてくれたのがあなただったと、ずっとお礼を言おうと思ってて言えなかった、人見知りで知り合いもいなかったから助かった ありがとう

そういうようなことを言ってくれた

 

言われて、ああ確かにそんなことがあったなとその時に思い出した

入学前の当時は私も知り合いなんていなくて、社会人を辞めて専門学生になろうとしていたからまわりの子達はみんな2つくらい年下だったし、私も周りに馴染もうと必死だった、音楽業界は繋がりやコミュニケーション能力が大切だと躍起になってたところもあって、普段の自分では話しかけないようなひとにも積極的に話しかけていたのだった

そんな感じで柄にもなくたくさんの人に話しかけまくっていたのでどうにも私とは合わんやろというような人ともそれなりに話したりしていて、そこで休憩時間ひとりでイヤホンを耳に入れて音楽をきいていた彼女にも私は勇気を出して話しかけたんだった、たしか何聴いてるの?みたいな内容だった気がする

イヤホン耳に入れてるひとに話しかけるとかようやるわ、と今なら思うけどそこは自分も若かったというか、今よりずいぶん怖い物知らずだったんだなと思う

 

そんなこんなで彼女とは一瞬仲良くはなったけど入学してしばらく経つと一緒に過ごすグループも分かれてほとんど話さなくなり、それに私とはあまり合わない派手めなグループに属して楽しそうに過ごしていたのを見ていたので気の合う人とちゃんと仲良くなれていてよかったなあと思いつつ、私は彼女を含むそのグループのことが少し怖かった

なんというか、スクールカースト上層部という感じの雰囲気?10代の学生時代にそういう子たちの圧力を感じて結構しんどい思いをしてきた記憶があるので、どうしても派手なかんじの雰囲気をまとった集団に対して怯えてしまうところがあった


自分のような地味な人間が介入していい集団ではないという偏見が自分の中で出来上がっていたのでなんとなく自分から彼女のことを避けて学生生活を過ごしていたんだけど、退学する最後の日に私にわざわざお礼を言いにきてくれた、仮入学のときだからもう一年以上前のことなのにそのことをずっと覚えててくれたのもすごいなと思ったし、彼女はあの時は助かったありがとうと言ってくれたけど、そうやってかけてくれた言葉で私はたぶん彼女の何倍も救われた

お礼を言われた時あんまりうれしくてありがたくて、あと一方的に彼女のことを遠ざけていた自分がばかばかしくて申し訳なくて、その場でめちゃめちゃ泣いてしまった、相手にはびっくりされたと思うけどほんとにありがたくて自分でも驚くくらいぼろぼろ涙が出た


退学を決めたのも自分では納得したつもりでいたけどどこか自分の力が足りなかったんじゃないかとかもっと周りに馴染める能力があればとかもっと積極的にスタジオに通っていたらとか色々と思うところがあったから、でも最後に登校したその日のその彼女の行動と言葉で、自分の中で引っかかっていたことのほとんどがさっぱり洗い流された感じがした 入学する前に自分が思い描いていた夢には到達しなかったけど、こういう体験が出来ただけでこの場所にきた意味があったと思ったのだった


ちょっと無理をして優しい人の真似をした行動でも、ちゃんと相手には優しさとして伝わっていたということだ

あとやっぱり偏見をもつのは愚かだということ、人の性格は偏見と一緒に出来上がっていくものだからそれはどうしようもないけど、なるべく自分からたくさんの物事に触れて、自分の中の偏見を壊してくれる人や物にたくさん出会っていくことが必要だと思う、見えてる範囲が世界の全てだと思わないように

 

ということを、何年か前の誕生日に友達がくれた茨木のり子の詩集を読み返しながら思い出したり考えたりした

最近はスマホの奴隷になっていたのでゆっくり本を読んだり日記を書いたりすることなかったけどこういう時間を増やしていくべきだな

 

ひとりで音楽聴いてる時がサイコー

 

 

まじで自分がもし音楽とか別に好きじゃないみたいなタイプの感じで生きてたら今頃どうなってたんだろうみたいなこと考えてめちゃくちゃ怖くなった

 


怖くなってこれを書いてる

 


いろんなこと全然気づかないまま 今よりもっともっともっとばかで独りよがりな人間になってたことが明らかすぎる 音楽がすきな自分マジでセーフだった

まあでもセーフなだけで未だに結構ギリギリのとこ立ってる 見るひとが見れば全然アウトの範囲なのかも それはすみません…というきもち

 


音楽じゃないところから世の中のいろんなことを学んで取り込んでる素敵なひとたちももちろんたくさんいるけど、自分にとってはそれが音楽で、今世人間として生きていくためにはすごく重要なものだったということ

 


自分の人格のほぼほぼがこれまで聴いてきた音楽で構成されている 音楽ってある意味宗教的なものだし みんなそうだと思うけど

 


「革命にはサウンドトラックが必要だろ」

そうだね そう思う、革命とまで大袈裟なことではなかった気がするけど、何かの方向が定まったような感覚があったとき 私にもいつもサウンドトラックがあるよ

 


自分の中の何かが変わる時いつも音楽がその起因になっていたり ただそばにいたり そういうことが

 


でもそれが音楽じゃないって人は何で世界を知るんだろう 絵とか?ドラマ?映画、学問、ただ単に人とのつながり?

なんにせよ、どうしても受け入れ難いことが起こったとき、それでもただそのまま立ち止まってはいられない、のようなとき、音楽とか詩とか絵とか?そういう、数字では割り切れないもの?何通りもの解釈ができるようなものが、それをただ美しいとか魅力的なだとか思うことでどうにかこうにかやっていくもんなのか、やってきたのか人間は………と思う

 


白黒ハッキリするものしか信じないってのはちょっと…この世では無理があるよな……

もはや白黒ハッキリするものなんてこの世には存在しない、ということが白黒ハッキリ明白な事実っぽいから、いやでもこれはなんか矛盾しているような?

 


いつもインターネットの世界のどこかではケンカしてるひとがいるな。

でもケンカしてるのもその人たちの目に入る範囲の中の話なんだな。見えてるところが世界の全てではないのに、それが世界の全部に見えていて、何者かに反論されたり不愉快なことされるとその自分の世界ぜんぶが脅かされるようなきもちになって、結局反撃みたいになるのかな

自分が信じてるものや愛してるものをぞんざいに扱われたり嫌なこと言われたりすると、自分自身が攻撃された気になってやり返しちゃうんだな。その感情は愛だけど、そういうのは賢いやり方ではない気がする バカだと言ってるわけではない 愛し過ぎるとバカにはなるけど

 


昔戦争を取り上げたテレビ番組で、現地で取材とかしている人が 愛がある限り戦争は終わらないんです て言ってたのがずっと頭に残ってる

愛するものとか守るものがあると、人は戦ってしまうんだな 守る ということが攻撃になってしまわなければいいのに、何故か攻撃になってしまうんだな、いつも。いちばん手っ取り早いからか?でも手っ取り早くても失うものがあまりにも多過ぎるだろがと思うんだけど?

 


とにかく生きていくにはバランス感覚だ、というのが今のところの着地点なんだけどどう

多少の揺れはあっても、偏らないように、声の大きい方にだけ意識を向けないように、かと言って最近の世の中では、小さな声に突然一気に拡声器を当てすぎて耳キーンなるわ!!となっていることも多いので、そのあたりはほんとに、自分の感覚次第なのかも、28年弱の短い期間ではあるが私もそれなりの人間としての記憶と経験があるので、それを使って、信じて、やっていくしかないということだ。

 


信じてやって失敗したこともあるけど、それで離れたものもひともいるけど、思い出すと結構キツいけど、まあそれはそれで……と思えることもあるような、ないような?

 


まあ音楽があるし……あと好きなひとたちもいるし、自分もいつかどうせ死ぬし……でもな〜、今好きなものたちこの先も好きでいられるのかな、ということを、まあこれは自分でもわからない…向こう側から嫌われるかもしれないし。こんなことは。こんなことは、

外国語では愛してるをサラッと言えるからいいよね、アイラブユー、サランヘ。←最近よく聞くやつ。日本語で愛してますっていうのとアイラブユーっていうのとはやっぱりニュアンスが違うよな 日本語でももっとフランクに愛してるって言いて〜〜

 


というようなことを。

最近まじで暑すぎて無理で色々考えてたという記録

あと花見に行きたい、花見とクリスマスは絶対やらなきゃでしょ

別に病床に伏しているわけでもないけど毎年桜みるたびに人生でこれあと何回見られるん?と思ってしまう 精神が95歳なのかもしれん

 

 

幸せなときはかなしい

 

いつも、友達と出かける時とか好きなアーティストのライブに行く時、行く前からずっと悲しかったり寂しかったりで暗い気持ちになる。

もっと言うとそういうイベントごとのときだけではなくて、朝起きたら窓の外が晴れてて気持ちいいな〜ってときとか、道端にきれいな花が咲いてるのみつけたときとか、そういうときにもなんだか悲しくなる。悲しいというか、せつない?幸せな気持ちと悲しい気持ちっていつもセットでやってくる。

 

自分なりになんでだろうって考えて、たぶん満たされた瞬間にそれが終わったりなくなったりすることを同時に、無意識に考えてちゃってるのかなと思ってみた(この思考は結構人間ならほとんどの人がなるやつだと思ってたけどまわりの人みてたら楽しみなことをほんとうにずっと楽しみそうにしていて実際楽しくて、楽しかった〜!というような感じのまま帰路についたりしてるのでもしかしたらそうでもないことの方が多いのかな)けど、そういうことでもない気がして、正直何故かはわからなかった。とにかく幸せだなって感じたと同時にいつもポジティブ方面ではない気持ちがかなり多めに混じってて苦しくなる。

 

友達と出かけるときなんかは、目的地に向かう道中でまだ到着してもいないのに辛くなってきちゃってああ悲しい、帰りたくない、みたいなことを言い出してしまうことがよくある。実際そういうとき友達にまだ始まってないのにそんなマイナスなことばっかり言うなよみたいに怒られることもある、今思えば結構な回数ある。相手からすると確かに、今から楽しいことをしにいくのに一緒にいるやつがしおしおと泣きごと言ってたらだいぶ鬱陶しいだろうなとは思うしほんとうに申し訳ないんだけど、マジで悲しいのだ。マジでかなしくてひとりで抱えきれないから言っちゃうんだけど別に悲しくない人にそんなこと言ったってうざがられるだけなんだよな。

 

そんなんだから、私は何だかんだ今年で人間28年目になるけどこの28年間ほとんどの時間を悲しいきもちで過ごしているっぽい。あんまり楽しい気持ちがキープされることってない。物心つく前とかはあったのかもしれないけど、1番古そうな記憶で幼稚園くらいのとき田舎のおばあちゃんちに遊びに行って裏山でキラキラした真っ赤な木苺みつけたときも悲しいと思ったことあるからだいぶ長いことへばりついてる感覚らしい。

今日もすご〜く穏やかにほぼ一日中家で過ごしたけどなんとな〜くずっと悲しかった。まあポジティブな感情よりネガティブな感情のほうが強く残ったり長引いたりするものだし、人間としては当たり前のことなのかもしれない。

 

でもあんまり悲しい悲しい言ってても人からはうざがられるだろうし(言わなきゃいいじゃんとも思うが)、結構しんどいのでどうしたもんかな〜と結構長い間うっすら悩んでいたんだけど、キムナムジュンさんの作った曲のなかにbicycleという曲があって、それを聴いてからいろいろ自分の中で腑に落ちたというか、納得したことがある。

歌詞の中に「泣いてもいいよ 本来幸せなら悲しい」という部分がある。これを聴いた時あ〜〜〜〜、そうだよね、と思った。この曲がでたときのナムジュンさんのコメント(ファンの方が翻訳してくださっているのを読んだ)で、「自転車に乗るときはいつもときめくけど、ペダルに足を乗せるとなぜか少し悲しい気持ちになる」と書かれていた。

 

ほ〜〜〜〜、そうなんだよ、そうなんだよね。こうやって書いてみると、結局は「幸せと感じている今がいつか終わってしまうのが悲しい」みたいなことに落ち着いてしまいそうだけどそういうことではないんだよな

 

なんとなくこの気持ちにいちばん近い言葉が「悲しい」だから私は悲しいって言うけど、ぴったり当てはまる言葉はなくて、

「愛おしい」とか「感動した」みたいな心の揺れ動き方が「喜び」方面に分類されるか「悲しみ」方面に分類されるかも人によって分かれそう。ナムジュンさんは悲しい寄りに分類される人なのかな。結局言葉の意味なんてぜんぶ後付けで、とくに感情を表すときなんかは言葉で追いつけないところがものすごくある、だから音楽や詩や絵になったりするんだろうなっていう。

 

とにかくこの曲とナムジュンさんの言葉のおかげで「そうなんだよね〜」という気持ちになって、この「そうなんだよね〜」が私の中ではかなり大きなことだった。ナムジュンさんが自転車に乗る時に感じてる悲しさと私が日々感じている悲しさは一緒ではないかもしれないけど、あのなんだかよくわかんない感じ?そういうものがただそこにある、ということを自分で肯定できたってことだ。

 

なんか、点と点が繋がってこの悲しい気持ちの理由が分かった!みたいな共感のしかたではなくて、気の置けない相手とただ「こういうときにこういう気持ちになるんだよね。」「わかる。」みたいな会話をしたときに似てる。

別に誰かに共感してもらいたかったわけでも慰めてもらいたかったわけでもないけど、ただただ、「まあこういうもんか、私という人間はさ。」みたいな清々しい気持ちを手に入れた気がした。わざわざ人に言うことのほどではないんだけどすごく大切な感覚だと思う。

 

たぶんこれ何言ってんのかわかんないと思われるかもしれないけどこういう経験ってみんなどこかでしてるんだろうな。とくに誰かの作った音楽とか、なにか作品に惹かれるときって、そういう深い部分の自己肯定ができたときみたいな気もするし。音楽っていいな、やっぱり、こういうことが起こるから好きだな。

 

穏やかだけどずっと考えごとしながら過ごしたからなんか今日はもう疲れた。夕方散歩にでも行こうかなって思ってたけどこれ書いてたらもう全然夜だし寒くなってきたからやめよ。

あと作り置きしとこうと思って具材に混ぜて炒めるだけのレトルトのやつでキャベツと厚揚げの味噌炒め作ったけどあんまりおいしくなくて、これは普通にただかなしかった。やっぱ調味料とか自分で調節した方がいいんよな、ほんとに一人暮らしの自炊ってめんどくさ〜〜い………生活〜………