がくしゅうちょう

書いて残す

こういうこともあるし、そういうこともある

 

 


二十歳くらいのとき、好きだった音楽を仕事にしたくて高卒で働き始めた会社を一年半でやめて音響の専門学校へ入ったことがあった、結局自分には合わない事がわかったので2年ある課程を1年で見切りをつけて自主退学したんだけど、自主退学だって見る人からすれば挫折にみえるかもしれないが 私には私なりに理由があってものすごく納得している、そうするしかない選択だった 

自主退学する最後の日、ホームルームでクラスのみんなに挨拶をした ありがたいことに残念がってくれるひとたちもいて、1年間ありがとうございましたとみんなに頭を下げたときすごくすっきりしたきもちだった

そのホームルームが終わって教室を出ようと荷物をまとめていたときひとりの女の子が私に声をかけてくれた

 

仮入学でひとりでいたとき1番に声をかけてくれたのがあなただったと、ずっとお礼を言おうと思ってて言えなかった、人見知りで知り合いもいなかったから助かった ありがとう

そういうようなことを言ってくれた

 

言われて、ああ確かにそんなことがあったなとその時に思い出した

入学前の当時は私も知り合いなんていなくて、社会人を辞めて専門学生になろうとしていたからまわりの子達はみんな2つくらい年下だったし、私も周りに馴染もうと必死だった、音楽業界は繋がりやコミュニケーション能力が大切だと躍起になってたところもあって、普段の自分では話しかけないようなひとにも積極的に話しかけていたのだった

そんな感じで柄にもなくたくさんの人に話しかけまくっていたのでどうにも私とは合わんやろというような人ともそれなりに話したりしていて、そこで休憩時間ひとりでイヤホンを耳に入れて音楽をきいていた彼女にも私は勇気を出して話しかけたんだった、たしか何聴いてるの?みたいな内容だった気がする

イヤホン耳に入れてるひとに話しかけるとかようやるわ、と今なら思うけどそこは自分も若かったというか、今よりずいぶん怖い物知らずだったんだなと思う

 

そんなこんなで彼女とは一瞬仲良くはなったけど入学してしばらく経つと一緒に過ごすグループも分かれてほとんど話さなくなり、それに私とはあまり合わない派手めなグループに属して楽しそうに過ごしていたのを見ていたので気の合う人とちゃんと仲良くなれていてよかったなあと思いつつ、私は彼女を含むそのグループのことが少し怖かった

なんというか、スクールカースト上層部という感じの雰囲気?10代の学生時代にそういう子たちの圧力を感じて結構しんどい思いをしてきた記憶があるので、どうしても派手なかんじの雰囲気をまとった集団に対して怯えてしまうところがあった


自分のような地味な人間が介入していい集団ではないという偏見が自分の中で出来上がっていたのでなんとなく自分から彼女のことを避けて学生生活を過ごしていたんだけど、退学する最後の日に私にわざわざお礼を言いにきてくれた、仮入学のときだからもう一年以上前のことなのにそのことをずっと覚えててくれたのもすごいなと思ったし、彼女はあの時は助かったありがとうと言ってくれたけど、そうやってかけてくれた言葉で私はたぶん彼女の何倍も救われた

お礼を言われた時あんまりうれしくてありがたくて、あと一方的に彼女のことを遠ざけていた自分がばかばかしくて申し訳なくて、その場でめちゃめちゃ泣いてしまった、相手にはびっくりされたと思うけどほんとにありがたくて自分でも驚くくらいぼろぼろ涙が出た


退学を決めたのも自分では納得したつもりでいたけどどこか自分の力が足りなかったんじゃないかとかもっと周りに馴染める能力があればとかもっと積極的にスタジオに通っていたらとか色々と思うところがあったから、でも最後に登校したその日のその彼女の行動と言葉で、自分の中で引っかかっていたことのほとんどがさっぱり洗い流された感じがした 入学する前に自分が思い描いていた夢には到達しなかったけど、こういう体験が出来ただけでこの場所にきた意味があったと思ったのだった


ちょっと無理をして優しい人の真似をした行動でも、ちゃんと相手には優しさとして伝わっていたということだ

あとやっぱり偏見をもつのは愚かだということ、人の性格は偏見と一緒に出来上がっていくものだからそれはどうしようもないけど、なるべく自分からたくさんの物事に触れて、自分の中の偏見を壊してくれる人や物にたくさん出会っていくことが必要だと思う、見えてる範囲が世界の全てだと思わないように

 

ということを、何年か前の誕生日に友達がくれた茨木のり子の詩集を読み返しながら思い出したり考えたりした

最近はスマホの奴隷になっていたのでゆっくり本を読んだり日記を書いたりすることなかったけどこういう時間を増やしていくべきだな