がくしゅうちょう

書いて残す

ひとりで音楽聴いてる時がサイコー

 

 

まじで自分がもし音楽とか別に好きじゃないみたいなタイプの感じで生きてたら今頃どうなってたんだろうみたいなこと考えてめちゃくちゃ怖くなった

 


怖くなってこれを書いてる

 


いろんなこと全然気づかないまま 今よりもっともっともっとばかで独りよがりな人間になってたことが明らかすぎる 音楽がすきな自分マジでセーフだった

まあでもセーフなだけで未だに結構ギリギリのとこ立ってる 見るひとが見れば全然アウトの範囲なのかも それはすみません…というきもち

 


音楽じゃないところから世の中のいろんなことを学んで取り込んでる素敵なひとたちももちろんたくさんいるけど、自分にとってはそれが音楽で、今世人間として生きていくためにはすごく重要なものだったということ

 


自分の人格のほぼほぼがこれまで聴いてきた音楽で構成されている 音楽ってある意味宗教的なものだし みんなそうだと思うけど

 


「革命にはサウンドトラックが必要だろ」

そうだね そう思う、革命とまで大袈裟なことではなかった気がするけど、何かの方向が定まったような感覚があったとき 私にもいつもサウンドトラックがあるよ

 


自分の中の何かが変わる時いつも音楽がその起因になっていたり ただそばにいたり そういうことが

 


でもそれが音楽じゃないって人は何で世界を知るんだろう 絵とか?ドラマ?映画、学問、ただ単に人とのつながり?

なんにせよ、どうしても受け入れ難いことが起こったとき、それでもただそのまま立ち止まってはいられない、のようなとき、音楽とか詩とか絵とか?そういう、数字では割り切れないもの?何通りもの解釈ができるようなものが、それをただ美しいとか魅力的なだとか思うことでどうにかこうにかやっていくもんなのか、やってきたのか人間は………と思う

 


白黒ハッキリするものしか信じないってのはちょっと…この世では無理があるよな……

もはや白黒ハッキリするものなんてこの世には存在しない、ということが白黒ハッキリ明白な事実っぽいから、いやでもこれはなんか矛盾しているような?

 


いつもインターネットの世界のどこかではケンカしてるひとがいるな。

でもケンカしてるのもその人たちの目に入る範囲の中の話なんだな。見えてるところが世界の全てではないのに、それが世界の全部に見えていて、何者かに反論されたり不愉快なことされるとその自分の世界ぜんぶが脅かされるようなきもちになって、結局反撃みたいになるのかな

自分が信じてるものや愛してるものをぞんざいに扱われたり嫌なこと言われたりすると、自分自身が攻撃された気になってやり返しちゃうんだな。その感情は愛だけど、そういうのは賢いやり方ではない気がする バカだと言ってるわけではない 愛し過ぎるとバカにはなるけど

 


昔戦争を取り上げたテレビ番組で、現地で取材とかしている人が 愛がある限り戦争は終わらないんです て言ってたのがずっと頭に残ってる

愛するものとか守るものがあると、人は戦ってしまうんだな 守る ということが攻撃になってしまわなければいいのに、何故か攻撃になってしまうんだな、いつも。いちばん手っ取り早いからか?でも手っ取り早くても失うものがあまりにも多過ぎるだろがと思うんだけど?

 


とにかく生きていくにはバランス感覚だ、というのが今のところの着地点なんだけどどう

多少の揺れはあっても、偏らないように、声の大きい方にだけ意識を向けないように、かと言って最近の世の中では、小さな声に突然一気に拡声器を当てすぎて耳キーンなるわ!!となっていることも多いので、そのあたりはほんとに、自分の感覚次第なのかも、28年弱の短い期間ではあるが私もそれなりの人間としての記憶と経験があるので、それを使って、信じて、やっていくしかないということだ。

 


信じてやって失敗したこともあるけど、それで離れたものもひともいるけど、思い出すと結構キツいけど、まあそれはそれで……と思えることもあるような、ないような?

 


まあ音楽があるし……あと好きなひとたちもいるし、自分もいつかどうせ死ぬし……でもな〜、今好きなものたちこの先も好きでいられるのかな、ということを、まあこれは自分でもわからない…向こう側から嫌われるかもしれないし。こんなことは。こんなことは、

外国語では愛してるをサラッと言えるからいいよね、アイラブユー、サランヘ。←最近よく聞くやつ。日本語で愛してますっていうのとアイラブユーっていうのとはやっぱりニュアンスが違うよな 日本語でももっとフランクに愛してるって言いて〜〜

 


というようなことを。

最近まじで暑すぎて無理で色々考えてたという記録

あと花見に行きたい、花見とクリスマスは絶対やらなきゃでしょ

別に病床に伏しているわけでもないけど毎年桜みるたびに人生でこれあと何回見られるん?と思ってしまう 精神が95歳なのかもしれん