がくしゅうちょう

書いて残す

幸せなときはかなしい

 

いつも、友達と出かける時とか好きなアーティストのライブに行く時、行く前からずっと悲しかったり寂しかったりで暗い気持ちになる。

もっと言うとそういうイベントごとのときだけではなくて、朝起きたら窓の外が晴れてて気持ちいいな〜ってときとか、道端にきれいな花が咲いてるのみつけたときとか、そういうときにもなんだか悲しくなる。悲しいというか、せつない?幸せな気持ちと悲しい気持ちっていつもセットでやってくる。

 

自分なりになんでだろうって考えて、たぶん満たされた瞬間にそれが終わったりなくなったりすることを同時に、無意識に考えてちゃってるのかなと思ってみた(この思考は結構人間ならほとんどの人がなるやつだと思ってたけどまわりの人みてたら楽しみなことをほんとうにずっと楽しみそうにしていて実際楽しくて、楽しかった〜!というような感じのまま帰路についたりしてるのでもしかしたらそうでもないことの方が多いのかな)けど、そういうことでもない気がして、正直何故かはわからなかった。とにかく幸せだなって感じたと同時にいつもポジティブ方面ではない気持ちがかなり多めに混じってて苦しくなる。

 

友達と出かけるときなんかは、目的地に向かう道中でまだ到着してもいないのに辛くなってきちゃってああ悲しい、帰りたくない、みたいなことを言い出してしまうことがよくある。実際そういうとき友達にまだ始まってないのにそんなマイナスなことばっかり言うなよみたいに怒られることもある、今思えば結構な回数ある。相手からすると確かに、今から楽しいことをしにいくのに一緒にいるやつがしおしおと泣きごと言ってたらだいぶ鬱陶しいだろうなとは思うしほんとうに申し訳ないんだけど、マジで悲しいのだ。マジでかなしくてひとりで抱えきれないから言っちゃうんだけど別に悲しくない人にそんなこと言ったってうざがられるだけなんだよな。

 

そんなんだから、私は何だかんだ今年で人間28年目になるけどこの28年間ほとんどの時間を悲しいきもちで過ごしているっぽい。あんまり楽しい気持ちがキープされることってない。物心つく前とかはあったのかもしれないけど、1番古そうな記憶で幼稚園くらいのとき田舎のおばあちゃんちに遊びに行って裏山でキラキラした真っ赤な木苺みつけたときも悲しいと思ったことあるからだいぶ長いことへばりついてる感覚らしい。

今日もすご〜く穏やかにほぼ一日中家で過ごしたけどなんとな〜くずっと悲しかった。まあポジティブな感情よりネガティブな感情のほうが強く残ったり長引いたりするものだし、人間としては当たり前のことなのかもしれない。

 

でもあんまり悲しい悲しい言ってても人からはうざがられるだろうし(言わなきゃいいじゃんとも思うが)、結構しんどいのでどうしたもんかな〜と結構長い間うっすら悩んでいたんだけど、キムナムジュンさんの作った曲のなかにbicycleという曲があって、それを聴いてからいろいろ自分の中で腑に落ちたというか、納得したことがある。

歌詞の中に「泣いてもいいよ 本来幸せなら悲しい」という部分がある。これを聴いた時あ〜〜〜〜、そうだよね、と思った。この曲がでたときのナムジュンさんのコメント(ファンの方が翻訳してくださっているのを読んだ)で、「自転車に乗るときはいつもときめくけど、ペダルに足を乗せるとなぜか少し悲しい気持ちになる」と書かれていた。

 

ほ〜〜〜〜、そうなんだよ、そうなんだよね。こうやって書いてみると、結局は「幸せと感じている今がいつか終わってしまうのが悲しい」みたいなことに落ち着いてしまいそうだけどそういうことではないんだよな

 

なんとなくこの気持ちにいちばん近い言葉が「悲しい」だから私は悲しいって言うけど、ぴったり当てはまる言葉はなくて、

「愛おしい」とか「感動した」みたいな心の揺れ動き方が「喜び」方面に分類されるか「悲しみ」方面に分類されるかも人によって分かれそう。ナムジュンさんは悲しい寄りに分類される人なのかな。結局言葉の意味なんてぜんぶ後付けで、とくに感情を表すときなんかは言葉で追いつけないところがものすごくある、だから音楽や詩や絵になったりするんだろうなっていう。

 

とにかくこの曲とナムジュンさんの言葉のおかげで「そうなんだよね〜」という気持ちになって、この「そうなんだよね〜」が私の中ではかなり大きなことだった。ナムジュンさんが自転車に乗る時に感じてる悲しさと私が日々感じている悲しさは一緒ではないかもしれないけど、あのなんだかよくわかんない感じ?そういうものがただそこにある、ということを自分で肯定できたってことだ。

 

なんか、点と点が繋がってこの悲しい気持ちの理由が分かった!みたいな共感のしかたではなくて、気の置けない相手とただ「こういうときにこういう気持ちになるんだよね。」「わかる。」みたいな会話をしたときに似てる。

別に誰かに共感してもらいたかったわけでも慰めてもらいたかったわけでもないけど、ただただ、「まあこういうもんか、私という人間はさ。」みたいな清々しい気持ちを手に入れた気がした。わざわざ人に言うことのほどではないんだけどすごく大切な感覚だと思う。

 

たぶんこれ何言ってんのかわかんないと思われるかもしれないけどこういう経験ってみんなどこかでしてるんだろうな。とくに誰かの作った音楽とか、なにか作品に惹かれるときって、そういう深い部分の自己肯定ができたときみたいな気もするし。音楽っていいな、やっぱり、こういうことが起こるから好きだな。

 

穏やかだけどずっと考えごとしながら過ごしたからなんか今日はもう疲れた。夕方散歩にでも行こうかなって思ってたけどこれ書いてたらもう全然夜だし寒くなってきたからやめよ。

あと作り置きしとこうと思って具材に混ぜて炒めるだけのレトルトのやつでキャベツと厚揚げの味噌炒め作ったけどあんまりおいしくなくて、これは普通にただかなしかった。やっぱ調味料とか自分で調節した方がいいんよな、ほんとに一人暮らしの自炊ってめんどくさ〜〜い………生活〜………