がくしゅうちょう

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タマゴサンド

今日お姉ちゃんと一緒に実家に顔を出したらおばあちゃんがタマゴサンドを作ってくれた。
昔から正月には割烹着を着て大量のおせちを作るほど料理がとっても上手だったおばあちゃん、ここ数年でどんどん体が弱ってしまって最近はまったく台所に立っていなかったはずなのに私と姉が帰ってきたのを知ると台所をうろうろしはじめたものだから何事かと思って声をかけたら、私と姉がお腹をすかせているだろう、何かだしてやろうと考えてくれたようだった。おばあちゃんは円背もひどくて立ってるのも大変だし、手も昔のようには動かなくて火や包丁を使うのは難しいから普通の家庭だったら 危ないからやめて!と止めてしまうところだろうが、私も姉も介護職を長くやっていて今のおばあちゃんがどの程度のことならできるのか、どこから手伝いが必要なのかがなんとなくわかるので制止せず様子をうかがいながら隣の部屋から見守ることにした(こういうときに介護の仕事をしていてほんとうによかったと思う)。結構な時間台所から作業する音がしていたけどそれがやっととまったので姉と見に行くと、切ったパンの耳やらバターやらフライパンが置きっ放しの台所に疲れ果てた様子で椅子に座ったおばあちゃんの姿とその目の前には私とお姉ちゃんのであろう二人ぶんのサンドイッチがあった。小さい頃学校から帰ったら「お腹すいたやろう」とおばあちゃんがよく作ってくれていたのがこのタマゴサンドだったことを思い出した。完成したのにこちらに声をかけてこないまま座っていたので相当疲れたようだ。お姉ちゃんが「おばあちゃん、これ、出来たん。食べてもいいん?」と聞くと、「作ったんやけど、久しぶりやから手がふるえてあかんわ。こんなんよりこっち出してあげたほうがええんとちゃうかと思って…」と棚の上にあるお母さんが買い置きしてくれているお菓子を指差した。おばあちゃん、なんでも自分でやるプライドの高い人だったから思うように出来なかったことに落ち込んでるみたいだったけど、味は小さい頃食べたおばあちゃんのサンドイッチの味そのままだった。おいしかったっていっぱい伝えたら泣きそうな顔をして、だけど笑ってくれた。お姉ちゃんと あの頃のやつやな、懐かしい味するなって話しながら食べて、今もおばあちゃんのサンドイッチを一緒に食べれたことのうれしさと、これから起こる色んな悲しいことのことを考えた。いろんなかなしいこと。楽しいこととか嬉しいことよりもずっと強く残ってしまういろんなこと。おばあちゃんのタマゴサンドの味は、これから先何回も思い出すような気がするなあ、おばあちゃんのなかではきっと私と姉は今でも小学校から帰ってきたあのときのままなんだろうな

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おばあちゃんのタマゴサンド