がくしゅうちょう

書いて残す

無職体験期間かなり良かった話

子宮に大きめのポリープがあるって言われて、5日前くらいに手術して取った。そのために仕事1週間以上休んだからほぼ無職の状態じゃん、みたいになってて、明日からまた出勤なんだけど、この無職体験期間かなり良かったって話のメモ
退院した日はマジで身体しんどすぎて実家に泊まり、翌朝も手術前に打たれた下半身麻酔によって爆発したと思われる持病の腰痛がヤバくて寝てるのも辛かったけど、とりあえず自宅に帰った。家を出るときに母から大量の食材を持たされた(術後1週間は車に乗らないほうがいいっぽくて自分で買い物に行けないため)。
退院してから5日間休みがあったけど、外出もできないし基本的に体を縦にしてると頭痛が来るので、縦になったり横になったりを繰り返しながらリハビリも兼ねて頑張って家事をこなした。入院前はそこそこ肌寒かったのに退院後突然気候が夏になってたから、出しっ放しの毛布やひざ掛けなんかをぜんぶ洗濯したりした。あと水まわりの掃除とか。
無職体験期間中は遅くても日付が変わるまでには眠りについて(22時台にはベッドに入る)、朝はアラームなしで毎日7時台には起床した。コーヒー入れながら朝食を準備して、好きなアーティストや芸人さんのラジオを聴きながら食事をする。昼も夜も実家からもらった食材だけであれこれ料理(料理と呼ぶのもおこがましい、名前のない「あれとこれ炒めたやつ」とか「あれとこれ煮たやつ」みたいなものばかりだったけど)して食べた。自宅、かなり日当たりがいいので日の傾き方をみながら、今の季節はこの感じでこの時間なんだねえ〜とか思いながらリビングの床とかソファとかで本読んだりDVDみたり友達と連絡を取ったりした。テレビとか全部消して窓は開けて、いい感じの風に当たりながら床に寝そべって遠くのほうを走る車の音とか、近所の小学生の鬼ごっこしてる声とかが聞こえるなあとか思ったりもした。大好きな幼馴染み3人がインドカレーとナンとポテチと長崎カステラとぶどうジュースを持ってお見舞いに来てくれたりした(帰り際に、あんまり縦になりすぎたらあかんで!!と注意された)。
そんなこんなで労働してたときにメチャクチャになってた生活リズムをほぼ取り戻すことができて、術後の体のしんどさはやや残るもののメンタル的にはかなり元気になった。
労働はじまってもまたグチャグチャ生活に戻ってしまわないようにしたいし、明日からまた強い気持ちを持って生活を大事にしながらやっていきたい、人生。

仕事しんどいなって話

 


今年のゴールデンウィークは10連休らしいけど、介護職の私にはそんなこと一切関係なく昨日までずっと仕事で、今日はたまたま休みだった。天気めちゃくちゃ良くて最高、ほんとうはどこかに遊びに行ったりしたいけど、体がだるくて遠出はできなかった。昨日の仕事が終わって帰宅したのが22時半頃で、そこから風呂、洗濯、洗いものとかもろもろの家事を終えてやっとベッドに入り最後に時計を確認したのは2時半頃だった気がする。
最近ほんとうに仕事がしんどいのと体の調子が悪いのとで、体調か仕事の話しかできないつまらない人間になってしまっているのをかなり自覚している、なんかもっと、楽しい話がしたいんだけどなあ。仕事がしんどいみたいな話はたぶんしても相手もそんなにおもしろくないだろうし、親身になって聞いてくれたとしても愚痴っぽいことを言ってしまった罪悪感でさらに自分のメンタルがオワオワ状態になるのはもう23年強この体で生きてたから大体わかってるので、誰彼構わず話すのもなあ、という気持ちも、あるなあ。
だからここに書いといちゃお、仕事、今何がいちばんしんどいかって、新卒にOJTとして付きっ切りで仕事を教えていること。正直、私より介護職歴の長い先輩も何人かいるし、その人たちがやってくれ(これは完全に個人的な私の甘えであるけど)と思ってしまうが、なぜか任されてしまった。後輩を教える経験で成長してね、みたいなことなんだろうけどたぶん単純に人手不足なだけだろうな、ここから先は私の思い込みと推測だけど、私はほんとうに要領が悪いし性格もハキハキしたタイプではないくせに、職場とか他人がいる場面ではどうしても“できるひとのふり”をしてしまう、それがたまたま上司たちにバレずに“ほんとうにできる人間”とされてしまい、リーダー補佐や新人教育の担当に当てられてしまっているんだと思う。周りからみて“できる人間”であるならそういうことなんじゃないの?という意見もあるだろうけどそれは絶対にちがう、わかってくれ、勝手にそんな期待をかけないでくれ、というのが正直な気持ちなんだよな。周りがそんなふうにみてくれても、じゃあ私のこのしんどさはどうすりゃいいんや、と、甘ったれの自分が悲鳴をあげてるわけよ、毎日!という感じ。新卒を教えるのが嫌なわけじゃない、職場のひとたちは上の人も意地悪な人いないし、後輩たち、新卒ちゃんも含めほんとうにほんとうに仕事ができるいい子たちばかりで、つまりこんなにしんどいのもきっと私の未熟さが原因の大半であることもなんとなくわかってはいる、だけどどうしても、理不尽じゃない?と思うことが、最近ほんとうに毎日12個くらい起こる。体調が悪いのもあるかも、という言い訳もしてみる。無理しないで、とはいいつつ人が足りてないのはずっと上の人たちの会話の中で私も聞いているし、簡単に休みますなんて言えない。ていうか前から結構体調不良でお休みさせてもらったことも少なくなかったから、また休むのかよ、と思われるのを勝手に怖がっているだけなんだけど。新卒ちゃんに業務や認知症の方の対応の仕方、体が不自由な方の移乗介助の仕方、宿泊者の荷物確認の方法、医務や相談員との連携の取り方、自分でも把握しきれていないことを伝えつつ、徘徊で脱走しようとする利用者やオムツ交換、失禁者の排泄物の処理、食事の準備、食事介助、同時にこなしていかなければいけなくて、もうほんとうに、ほんとうにもともと要領の悪い自分としては日々パンク寸前、かも。ここだけに書いといちゃうけど、じつは、もう毎日泣きながらベッドから起き上がる日々がマジで続いている。なに?メンタルがオワかよ。平気だけどね。仕事行けるし。行ったらぜんぜん動けちゃうしなあ、しんどいって思い込みなのかも、とも思うね、そうだといいな、昨日は帰りたいって絶叫して暴れまわるおばあちゃんに腕をひっかかれて悲しかったな。帰りたい!帰して!お願い!何回も暴れながら叫ぶおばあちゃん、あんなの目の前にしたらほんとうにどうしたらいいのかわからなくなるな。もう何回もそういう人みてきたし慣れてるっちゃ慣れてるんだけど、帰りたいって暴れてるからじゃあ帰します、迎えに来てください、ってそんな単純な話じゃないし。結局3時間くらい付きっ切りで話を聞いたらなんとか落ち着いて寝てくれたけど。上手く対応して落ち着いてもらうのもプロの仕事なのかもしれないけど、こっちの人権は??と思うこと、結構ある。ほかにも頭がしっかりしててもあの世代の男性利用者って男尊女卑の考えが常識みたいなひとたちが多いから、そういうひとに トイレ連れていけ、飯はまだか、みたいなことしょっちゅう言われるし、たまに体触られたりとかもあるし、どこまで我慢するのが正解かもわらない。なんなんだろう、なんのためにやってるんだろうって最近考えちゃうな、前まではそうでもなかったんだけどな。体調がわるいからかな〜
それでもこんな思いして、給料も正直ぜんぜん高くないのになんで辞めないのか、自分でもよくわからない。でも楽しいって思うこともあるし、私のこと待ってくれてる利用者さんもいる、前に勤務の関係でしばらく日勤がなかったとき久しぶりに出勤したら、あんた最近見なかったじゃない、さみしかったよってほんとうに心細そうなかおで言ってくれたおばあちゃんがいたし、そう思ったらなかなか辞めてやる!とは思えない、たぶん私この仕事向いてるし。利用者さんのことすきだ、みんなかわいいなって思う。嫌な人もいるけど、それはやっぱお互い人間だし相性もあるよねって思い込んでおくことにする。たまに、ほんっっっとにたまにだけど、自分の今までのしんどかったことが一気に報われるようなきらきらしたことが急に起こったりもするし。たまにだけど。
あとね、昨日仕事終わりに後輩と話してて、私は疲れ果ててたから、べつに普段から仕事で手を抜いたりなんてしてないけど「後輩に教えながら仕事してたら、手抜けないから余計に疲れるんだよね笑」みたいな最悪の自虐をしたら、話してた後輩が「先輩普段から全然手抜いてないじゃないですか!」みたいなこと真剣に言ってくれて、なんか、泣いちゃいそうになったな、泣かなかったけどな。正直「そうですよね、1人の時って手抜きますもんね〜」みたいな返しが来るだろうなって(失礼だけど)思ってたから、あ、手抜いてないって思ってくれてるんだ、と思ったら、泣けちゃったね、心の中で泣いたよね〜
なんかよくわかんないな、仕事すきなのにぜんぜん行きたくない、今は。じぶんの未熟さが憎い。明日からまた5時起きで仕事。憂鬱だな、元気なひとになりたいなあ

何もかもぜんぶだめなときの自分記録

 

もうだめだ〜ほんとに無理すぎる。もうだめだ死にたい、とか言い過ぎている。そんなことをいいながらもいや君はじゅうぶんがんばっているよと言ってほしいだけ、という気もするし実際そうだと思う。わたしの感性はわたしだけのものだということはわかっているし、なんども自分でも確かめて、だいすきな音楽とかにも確かめさせられて、うんうんそうだ、私は私だけのものだ、大切にしないとってやってきたけどどうしてもどうしても、自分はすべてが間違っているみたいな考えがわきあがってとまらない。それはぜったいあれよ、自分をすきになる努力みたいなものをしてこなかったからであってすべては自分のせいなんだってことがわかってしまっている。周りと比べたってどうしようもないとかももう何度も考えたし言ったし言われたし、でも無理でしょそんなの、って思う。無理でしょそんなのって言ってくれる人がいるのも知ってるけど。でも仕事とかいろいろ、ちょっとばかり自信があっていやこれ私にしかできんやろとか思っていたことでも、たとえばそれを誰かに話したとき、その話をした相手に対してマウントを取ろうとしてるようなそぶりをちらつかせている自分に気づいてしまって、そうしたらもう全部がだめになる。こんなにいいところが自分にはある、とか、私はこんなことができる、とかを話している自分のことが話している途中から気持ち悪くて仕方なくなって、最後にはもう泣きそうになっちゃってるな。がんばって最後まで話してみるけど、時間が経ってからそのこと思い出しては死にたくなる。やめとけばよかった話すんじゃなかった相手の話だけきいとけばよかったとか。わけがわからないな。ひとのそういう話をきくのは全然大丈夫、すきなひとたちの嬉しかった話とか、こういうことを頑張ってるんだっていうのはほんとうに素敵なことだなって話を聞くだけで泣けちゃったりするしそれは自分のほんとうの気持ちなのに、それと同時にそんな素敵な人たちがなんでこんなクソみたいな自分の近くにいてくれてるんだろうって急に怖くなったり(周りにいてくれる人は自分を映すっていうけど、それなら自分のこともっとすきなはずだよな、みんなほんとうにすごくいい人なのに、だからって私が素晴らしい人間かっていうと全然全然全然そんなの無理)、認めてほしいすごいって言ってほしいって気持ちが心の奥底で暴れ狂ってるのを相手に気付かれていないかいつもヒヤヒヤしていていつかこんなのもぜんぶバレて嫌われるんだろうなみたいなこと考えてる。考えすぎか?考えすぎだな〜 承認欲求は悪いことじゃないっていうのもメチャメチャ知ってる。大事なことだ。人から認められるために生きてるんだから人間は。でもそれが自分なのまじでめっちゃ気持ち悪いなって思っちゃうのなに?考えすぎの病気なのか
こんなにがんばってるのに誰も見てくれてないとか文句いうくせに誰も見てくれてないところでもがんばるってことが美しいんだと思って行動してるんだから褒められたりしないのは当たり前なわけ。自分から人のいないところを選んでなにかをしてるのに、その誰もみてくれないことに対して文句言ってるのバカすぎるな、よく考えてみたら。そりゃそうでしょってかんじだ、でもなんか人がいるところでがむしゃらになにかしてるとがんばりをアピールしてる自分ってのがまた無理になってしまうんだな〜も〜死にてえ〜がんばりたいのに〜
なんでこんなことになってるんだろう。誰かからもらったうれしい言葉も謙遜しすぎるとかえって相手に失礼だって分かっている。私のことすきだって思って一緒にいてくれるひとたちから貰うものちゃんと信じないと、それこそずっと一緒にいてもらうなんて不可能だって分かってるんだけどな〜今みんなのことが大切すぎて、いつかさよならしなきゃいけなくなったときに自分が傷つきたくないだけなんだなたぶん。私がすきな人たちには、私がどれほどあなたたちのことがすきかってちゃんと信じてわかっていてほしいと心の底から思っているのに。口先だけでそういうふうに言って実際は怠けてる、いろんなこと。
ほんとに死にたい。そういう時期かな。そういう時期なんだろうな〜ウワ〜死にたいな〜
もうなにもわからないからはやくすべてわかる人になっちゃいたいな〜
もっと気楽にいけよ大丈夫だから!と言ってやれよ、がんばれよ、生きるのはほんとうに大変でしんどいなあ

散歩の記録

 

今日は夕方に散歩した。
家から10分くらい歩いた国道沿いの歩道から見える景色がだいすきだ。高台になっているから遠くまで見渡すことができる。見おろすとすぐ下は畑で、池もあって、すこし先には民家が集まってる小高い丘。夕方以降にはそれぞれの民家の窓にあかりが灯っていて、そのあかりが集まってるのをみるのもすき。田畑のど真ん中に新幹線の高架が通ってて、今日みたいに天気が良ければその高架のずっと奥のほうに淡路島もみえる。実家に帰るときに車ではよく通る道だ。ほんとうにこの道と景色がだいすきで、だいすきというか、一瞬通り過ぎるだけでなんだか泣きそうになる。理由は自分でもわからない。この感じ何なんだろう、って思いながらいつもただ通り過ぎる。今日は歩いたからいつもよりもその感覚がつよくて、泣かなかったけど、ぎりぎり、っていうふうなきもちだった。歩くといろんなものがみえる。歩道沿いのおうちの車庫の塀にステンドグラスみたいにきれいな石をはめ込んでつくったようなちいさいランプが飾られていたこと、ただの空き地だと思ってた広場の雑木のなかに立派な柊の木(つやつやでとげとげの葉っぱにあかい実がついてたから、たぶんそう)がまぎれていたこと。ふだんは気がつかないことばっかりだ。そんなことも含めてなんだか泣きそう。おとなになると車ばっかり乗りがちだから、こういうことに気づけないまま生活しちゃうんだなきっと。
冬の、太陽の高度が低い感じ、ずっと夕方みたいなさみしさがあるなと思う。自分の目線よりちょっとだけ高いところから届く太陽のひかり。夏みたいに真上からさしてくるのじゃなくて、そっとそこにいてくれるような、空気はつめたくてもあったかいひかりのいろ。たまらない気持ちになる。なんかめちゃくちゃ大切なものをいつのまにか忘れてずっと思い出せない、みたいな、心がざわざわする感じ。とくにあの道を通ると、ざわざわがとまらなくなる。すきなんだけど、あんまりずっとそこにいたいってわけじゃなくて、何なんだろう、なんなんだろうな。なんなんだろう。なにを忘れたくなかったんだろうな。

 

歩道からの景色

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昔よくおつかいに行ったスーパー(今はペットショップになっちゃった)の横のため池

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日記

もう二度と会えない、みたいなやつ、よくあるキャッチコピー的なかんじで見かけることがあるけど、ドチャクソにつらすぎないか?悲劇的すぎる。だって、もう二度と、二度と会えないんだろ?やばい、つらい。

最近「二度と会えない」がほぼ確定してしまった人ができた。私はその人のことがほんとうにだいすきだった。あの場所に行けばいつでも会える、戻れる、と思って会わないでいるうちにもう数年経っていて、気がつけば「二度と会えない」というところまで来てしまっていた。愕然とする。こんなことになるなんて思ってもいなかったのになあ。どうしていつまでも触れていられるなんて、あのとき思ってしまったんだろうなあ。あんなに近くで、笑ったり喋ったり、あるいは何も話さなくとも同じ空間で存在していたのに。
会えない、もう二度と、ほんとうに?
会おうと思えば会える、だけど会うべきでない、みたいなのもある。どんな理由も命にはかえられないと思っていたけど如何なる時でもそうだとは言いきれないということなのかもしれない。自分を納得させるためだけの考えかたかもしれない。
どうか最後まであの笑顔でいて。たぶん私なんかがこんなふうに祈らなくたって、あの人はたくさんの人に愛されていたから、幸せな最期を迎えるんだろうなとおもう。こういうこと考えてると、ほんとうに自分がなんのために生きてるのか分からなくなっちゃうな。考えてみれば、もう二度と会えない可能性がある人なんて今までに会ったことのある人全員を指すことだってできるのに。失くしてから気づく幸せとか、そんな簡単に言えるもんじゃないんだよ、毎日毎日繰り返し聴く音楽や、人との関わりの中でそんなの何度だって、そうだよな、ほんとうにそのとおりだって思って生きてきたのにこんなことになる。じゃあどうすればよかった?生きていくって、こういうことなのか。どんどん自信がなくなっていくなあ

 

もう二度と会えない、もう二度と、会えないのか

かなしいな

 

大切な

 

旅行をした。尾道に行ってきた。

ほんとうにうつくしい街で出会うひとみんながやさしくて、初めていったときから私はあの街のことがだいすきになった。いますぐには無理だけどいつかあそこで暮らしたいと思っている。今回は高校からの友人と二泊三日での滞在だった。また後日暇ができたら細かく書いて残しておきたいと思っているけど、いまは細かいことは書かずにとどめておくことにする。

今一番わすれずに書き留めておきたいのは、滞在中とにかくずっとさみしかったことだ。確かあれは去年の冬で、たまたま入ったつけ麺屋さんで飲んでいたサラリーマンが尾道のことを教えてくれて、初めてあの街に辿り着いたときのこと、あのときの空の色、空気のにおい、陽射しのやわらかさ、一緒にいた友達と話したことば、たくさん思い出した。そのあともずっとあの場所のことわすれられずに今年になってからもまた別の友達と尾道を訪れた。そのときのことも、私はちゃんと覚えていた。今回で尾道に来たのは3回目で、一緒にいたひとは3回とも違うけれど全部ちゃんと、ひとつひとつ覚えている。覚えている、どれも全部大切な思い出だった、これからもきっと何回も思い出す。あの街で出会ったひと、一緒にいた友達、地元に帰って話したひとみんなが忘れていってもたぶん、私は忘れずにずっと覚えている、やさしくしてくれたこと、懐かしい空、知らないひとたちのそっけない生活のいとおしさ、私が見て感じたすべて。ぜんぶさみしさに置き換わってしまいそうだけど、そうなったって、ただ、忘れないように、たいせつに覚えていたい。あの街がすきだということは、みんなのことがすきだってことでもあるんです。さみしい。おやすみ

無意味

 

天気が悪いのが続いてるのと肌寒くなってきたのもあってほんとうに気が滅入っている。嫌いなひとが幸せそうに今も生きていることや、生活の中で目に入ってくる人間同士の摩擦みたいなもののことばかり考えてしまってゆっくり心が死んでいく感じ。すきなひとたちのことでも考えるか、と思って色々思い出して明るいこと考えようとしたのに極限まで気が滅入ってるせいでこの期に及んで友達の泣いていた姿や自分の傷ついたときのことばかり思い浮かべていてほんとうにどうしようもない。だからもうそういうののこと考える、嫌いな奴の顔を思い浮かべるより幾分ましだろうと思う。

自分の生きていることやっていることに意味なんてあるのかと泣いたひとがいた。そうやって私の前で涙をみせてくれたことこそがそのひとが生きているということを何よりも強く証明していたし、その涙に暮れる姿の奥に、燃えることをやめられない火がまだちゃんと灯ってるのを私は確かに見ていた。そのあかりを、あたたかさを、揺らめきをまもるために、私になにかできることがあるだろうか、怯えてしまわないようにそっと寄り添って、すこしでもその手よりも高い体温をもって、その肩だけにさらされているのであろう冷たい風を凌いでやることができたら。そう思ったけどそのやりかたがわからなかった。ごめんなさいとおもう。必死に生きている、生きようとする姿を私なんかにみせてくれたのに、なにも返すことができなかった気がする。
自分ですら「こんなこと」と言ってしまったことが、そのひとにとってどれほど大切なことだったか。ひとが涙をながすのは、死の一歩手前で起こる現象のように思う。そんなにも大きな現象を体が起こしているのに、それが「こんなこと」な訳がないのだ。
きっと冷たい風を、隣にいたって相手とまったくおなじ冷たさで感じることは不可能だとわかっている。私たちは絶対的に孤独でひとりで、だけどそれならすこしでも近づきたいし、願わくば同じだけ歩み寄って距離が縮まるその感覚を感じたい。たとえそれが自分ひとりの思い込みだったとしても、その安堵感だけできっと涙だって流せるし、このさきも生きていこうと思えるのだから。

昔大切に思っていた友達と喧嘩をしたとき、自分が使える言葉の無力さを痛いほど感じたままただその場に立ち尽くすしかなかったのを覚えている。話せば話すほど伝えたいことの核の輪郭はぼやけて遠ざかって途方にくれて、言葉のすきまで無意識に相手との距離を測ることに意識が向いていた。そしてその自分の行為にさえ傷付いて、そうやってつくった傷は今でもずっと残りあらゆる状況や記憶がある一点で交差したとき、身体のどこかもわからない場所(この場合 こころ なのかもしれない)が無意識に反応して、かすみつつある痛みをすこしだけ鮮明にさせる。
今のこの感覚を当時ちゃんと相手に伝える力を持っていたらわざわざお互いに傷つくこともなかったのかなとか、そんなことを考えている。なにも意味なんてない。

なにも意味なんてないな。