がくしゅうちょう

書いて残す

浜田省吾さんのコンサート

 

浜田省吾さんのコンサートに行ってきた。

 

母が昔から省吾さんのファンで、姉も私も小さい頃からずっと家で曲が流れてるのを聞いて育ったから私の音楽好きの根本は省吾さんみたいなところがある。

声が深くて艶があるけどちょっとざらざらしててほんとに良い声。ずっと聞いてられる。口から音源みたいなことよくみんな言うけどこれはマジのマジで省吾さんが、マジで、そう。あまりにも声が良すぎる〜〜〜〜、、、うう、、。

 

もうほんと〜〜〜〜にカッコよかった。省吾さんはもう70歳になるらしい。うそでしょ………。カッコいいしああいう人からでるセクシーさはすごい。

 

MCもほんとうに良い、昔の恋人とのデートの思い出とか話してくれるんだけど、こ、これがモテる男の話し方だ〜〜〜〜!!!!になる。(ていうか昔の恋人とのデートの話を70歳になるひとから聞けるというのがまず良すぎる。)

バンドメンバーのひとたちとの思い出話もほんとうに聞くの楽しい。全員のことを私は深くは存じ上げないんだけれどこのひとたちがどんな時間を一緒に過ごしてきたのかが話してるのをみてるとわかる気がする。

最近夜中に目が覚めるんだよねみたいな話もよくしてて、ファンのひとの大半がたぶん50代前後だから年をとることで感じる体の不調ネタとかで笑いがおこるのもなんか一緒に年とってきたファンとの仲間感があって、そういうことに共感するにはまだ若造すぎる自分には羨ましいというか、そういう眩しさがある。

あとちょっと話のテンポが藤原基央MCに似てるなと思った。

 

ウクライナの美しい街やひまわり畑、震災前の東北の街並みの映像が公演の間に流れた。省吾さん昔から戦争のこと歌った曲も多いし、世界情勢とか世の中のことをいつもさらっと話してくれるのが好きだ。忘れないようにしなきゃ、忘れるも何も今も実際に起こってることだし最近の日本の動き方みてると全然他人事じゃない、つらいけどちゃんと目を開いてみていかないといけない現実があることもちゃんと話してくれる。

省吾さんが音楽を始めた頃私はまだ生まれてなかったから当時がどんな時代だったのか実際には知らないけど、曲の歌詞やインタビューをチラッと読んだだけでも激動の時代をずっと音楽とともに生きてきたというのはわかる。そんなひとが今自分の目の前に存在することが、ほんとうにすごいことだなあと思う。しかもあんっっっなにカッコよくコンサートしてくれるんだからすごすぎる。自分が50代、60代とかになったとき、青春時代に追いかけてたアーティストが未だにあんなふうにカッコいい姿で音楽続けてくれていたら、そんな幸せなことってないだろうな〜。

なんかもうデカい木みたいな感じだったな。私はデカい木のことが大好きなんだけど。いろんな経験を何層も何層も重ねた年輪が見えるし聞こえる感じがする。おっき〜い木を目の前で見たときみたいな威厳がある、ほんとうにカッコよかった。

 

MCでコロナや戦争のことに触れた時、平和な環境で音楽を楽しめると言うのがどれほど脆いものかということを思い知ったって話してくれてた。ほんとうにそうなんだよな、大好きな音楽家のひとたちいつもそのことを忘れないようにしてくれるから、私は私でちゃんと世界のことをみて生活を続けないといけないし、自分と周りの人が幸せに過ごせるように色々考えることややることがあるな。やらなきゃいけないとかこうするべき、みたいなことってあんまり好きじゃないけどこのことに関してはまじでみんなでやっていかないといけないことだと思うから。しっかりしろよ自分、またコンサートで省吾さんに会いにいけますように!

 

 

夜中にお菓子を焼く

 

前の職場で仕事してたとき、辛くて眠れない時に泣きながら夜な夜なお菓子を焼いてた。

何か悲しいことがひとつ起こると芋づる式に他の悲しかったことも思い出しちゃうからしんどくて、ただ泣いてるだけで何にもできない自分のことがよくわからなくなってたけどそれでもひとつひとつ材料を取り出して計って、順番に混ぜて、型に流してオーブンに入れて待ちながら洗い物してたら部屋の中が甘い匂いでいっぱいになっていく。最初はただ材料それぞれがバラバラだったのに自分が行動したことでひとつになって、泣きながらでも怒りながらでも受け入れられないことがあるときでも、手順に沿って手を動かすとちゃんといつもの自分らしい味がするお菓子が焼きあがってることが安心だった。

しかもちょっとずつ上手に焼けるようになってる。

大丈夫大丈夫、こういうものが作れるから自分はまだ大丈夫っておもいながら、それでようやくベッドに入ってたな。自分以外の人には、何もできなくても息をしてるだけでえらいよ大丈夫だよって言えるのに、自分にはそういうこと全然言ってあげられないんだよな。

 

小さい頃よくお母さんと一緒にお菓子作りをした。材料をまぜて型に流して焼くとおいしい食べ物が出来上がるのが単純に不思議で楽しかった。自分の手で何かを作り出すことっておもしろい。大人になってひとりで暮らして、考えることが山ほどあって抱えきれなくて泣きながらご飯食べることがあっても、お菓子を焼いているとまだたくさんのことを考える必要がなかった頃の感覚が戻ってくるからホッとする感じがあるのかな。

 

大人になると考えることが多すぎる。ずっとなんかぼんやり不安だし、ただ生活していくことがこんなにも大変だなんて思わなかったんだよね。好きな人たちはずっと一緒にいてくれるものだと思っていたし、普通に頑張ってたら普通に楽しく幸せに生きていけると思ってたんだけど、どうやらそうでもないっぽい。かなしいな、こんなこと考えるからいけないんだよ〜と思いながら小麦粉やバターやお砂糖や卵が混ざっていくのを見てる。うまく焼けたら、実家に持っていってお母さんに食べてもらおうかな、近所に住んでる友達にも一切れ渡しに行こうかな、遠くに住んでる友達に送ろうかな、ラッピングは最近新しいのを買ったからそれにして、いつもは適当にテープでとめるけど今日はリボンにしてみようかなあとか考えて、側から見たらそんなん何でもいいやろみたいなことをやっていくのが好き。

 

私は無駄なことが好き、正解がないことが、自分でこれにしよ〜っとって決められるものが好き。あれもいいしこれもいいけど、今日はこれなんだよね、まあ決められないんだけどね〜っていうのは優柔不断なわけじゃなくてそういう信念なんだよね。白黒ハッキリつけるのも大切、それは確かにそう、正しい道を正しく歩けば正しくここに行き着くからそうするべきっていうのもそう、でもさ〜………

 

ということを考えながら今日は塩キャラメルのパウンドケーキとかぼちゃプリンを焼いた。

材料が混ざっていく様子、いいよね。

一晩寝かせてから切り分けるから、うまくいってるといいな。お菓子褒めてもらえたり美味しいっていってもらえるとうれしいな。

友達と夜ご飯行ってい〜っぱい食べちゃったからお腹おもくてまだお風呂にも入れてない、お菓子は焼いたのに…日付も跨いじゃった……でも大丈夫、今日は日曜日だからね〜。

 

推しと世の中と自分の生活のこと

 

BTSのキムソクジンさんが兵役に行くみたい。

他のメンバーも順次入隊予定。推しというか、自分の好きな音楽作ってる人がそういうことで活動を中断しないといけないっていう経験が初めてだから、兵役かあ、そうかあ、という感じ。

 

私はBTSさんの音楽を聴くようになるまでは自分の住んでいる国の外のことへの関心ってほぼなかった。学校で習う歴史や英語の勉強くらいで、音楽は好きだから洋楽はそれなりに聞いていたけど、その曲の作り手の人生や、あと出身国の文化とか、そこまで興味を持って深掘りすることもなかった。

ちょっと前までは韓国のこともなんとなくのイメージで、話す言葉の印象もなんだか語気が強くてちょっとこわいな、とか思ってたな。文化が違うから、お話してるのをみたり聞いたりしても感情が読み取りづらいな、とか。

でも自分と同世代の彼らのことを知って、世界中のファンの人たちの交流を見ていて、今までよくわからないなと思ってた他国、他文化で生きているの人のきもち?心の中にあるもの?が、自分と変わらないものなんだっていうことがすごい実感を持って分かった気がするし、他の国の言葉とか文化を知れば知るほど、自分が「日本人」なんだということを良くも悪くも思い知らされる。外を知ることは自分の内側を知ることにもなるんだな。いろんな偏見がほどけていく感覚がめちゃめちゃある。

 

私がここ数年、短い期間だけとはいえ彼らの音楽や彼ら自身に対してもすごく愛情をもったから、彼らに関わることが直接私にも関わることになって、ようやく外の国のできごとが他人事じゃなくなった感じ。他国の制度に関して日本人の自分があれこれ言えることはないというのは、それはそうなんだけど、今までもずっと誰かの大切な人が、自分が望んだわけではないのに銃をもったり戦争のための訓練を受けたりしてきたっていうことなんだな。日本でも徴兵制やってたし。

BTSさんみたいにあんなに人を思いやる心があって差別や偏見に対して声を上げることのできる心をもった人たちが国の事情で軍に行かないといけないなんて、みたいな感情は、私がたまたま韓国人の男性として認識したのが有名人の彼らであっただけで、韓国で生きる男性たちはいろんなリスクを背負ってみんな入隊してきたんだろうな。行く方も送り出す方もやっぱりつらいんじゃないかな。今まさに戦争をしている国もあるし、その影響を私たちも受けているし。義務だとはいえすんなり受け入れられることじゃない気がしちゃう。

 

日本も戦争をしていたときに国の内外でどういうことが起こっていたのかちゃんと知っておかなくちゃと思って今になって改めて勉強してみたりするけど、知れば知るほどマジでキツい。私自身が直接したことではないけど"そういうことをした日本人の血が流れている自分"としての罪悪感がすごい。罪悪感を感じたからって過去が変わるわけじゃないし、ただ一方だけをみて誰が悪いとか言い切れないことばっかりだし、世の中は白黒つかないことしかないしキリがないけど、でも知ることを諦めるのは違う気がするんだよな、どんなこともいろんな角度から触れていかないと本当のかたちはわからないんだし何を"本当"とするかも結局は自分の立場や解釈次第だけど。

 

今私が国の制度や世界中の争いごと(過去から現在も含めて)とか差別とか偏見に対して罪悪感とかもやもやした気持ちを持ってしまうこの感じ、理由をちゃんと知って繰り返さないようにして、自分より後に生きていくひとたちがそういうことで苦しむことが少しでも減るといいと思うし、自分や大切なひとが傷つけられそうになったら暴力じゃない方法で戦ったり守ったりできる方法を知っておきたい。平和ボケの日本人だからそんなこと言えるんだみたいなやつあるかもしれないけど、銃とか武器じゃなくて、それぞれの大事なものだけをず〜っと離さず持っていられる世界に生きていたいんだよな。

こういうのは口で言うと薄っぺらな綺麗事みたいになっちゃいがちだからこんなベラベラしゃべらずに出来ることを黙々とやっていくのがほんとはいいんだよな私の場合は……

自分には何ができるのかな。ちょっとずつでもいい感じの方向に持っていきたいな。

 

とにかく推したち、てか世界中の人々、健康で幸せに過ごせますように。私も自分の生活をまわさないといけないぞ〜もらってばかりじゃなくて何かを分け与えられるくらいの余裕持てるようになろうね。とりあえずご飯食べてお風呂に入ってちゃんと寝ようね

 

タマゴサンド

今日お姉ちゃんと一緒に実家に顔を出したらおばあちゃんがタマゴサンドを作ってくれた。
昔から正月には割烹着を着て大量のおせちを作るほど料理がとっても上手だったおばあちゃん、ここ数年でどんどん体が弱ってしまって最近はまったく台所に立っていなかったはずなのに私と姉が帰ってきたのを知ると台所をうろうろしはじめたものだから何事かと思って声をかけたら、私と姉がお腹をすかせているだろう、何かだしてやろうと考えてくれたようだった。おばあちゃんは円背もひどくて立ってるのも大変だし、手も昔のようには動かなくて火や包丁を使うのは難しいから普通の家庭だったら 危ないからやめて!と止めてしまうところだろうが、私も姉も介護職を長くやっていて今のおばあちゃんがどの程度のことならできるのか、どこから手伝いが必要なのかがなんとなくわかるので制止せず様子をうかがいながら隣の部屋から見守ることにした(こういうときに介護の仕事をしていてほんとうによかったと思う)。結構な時間台所から作業する音がしていたけどそれがやっととまったので姉と見に行くと、切ったパンの耳やらバターやらフライパンが置きっ放しの台所に疲れ果てた様子で椅子に座ったおばあちゃんの姿とその目の前には私とお姉ちゃんのであろう二人ぶんのサンドイッチがあった。小さい頃学校から帰ったら「お腹すいたやろう」とおばあちゃんがよく作ってくれていたのがこのタマゴサンドだったことを思い出した。完成したのにこちらに声をかけてこないまま座っていたので相当疲れたようだ。お姉ちゃんが「おばあちゃん、これ、出来たん。食べてもいいん?」と聞くと、「作ったんやけど、久しぶりやから手がふるえてあかんわ。こんなんよりこっち出してあげたほうがええんとちゃうかと思って…」と棚の上にあるお母さんが買い置きしてくれているお菓子を指差した。おばあちゃん、なんでも自分でやるプライドの高い人だったから思うように出来なかったことに落ち込んでるみたいだったけど、味は小さい頃食べたおばあちゃんのサンドイッチの味そのままだった。おいしかったっていっぱい伝えたら泣きそうな顔をして、だけど笑ってくれた。お姉ちゃんと あの頃のやつやな、懐かしい味するなって話しながら食べて、今もおばあちゃんのサンドイッチを一緒に食べれたことのうれしさと、これから起こる色んな悲しいことのことを考えた。いろんなかなしいこと。楽しいこととか嬉しいことよりもずっと強く残ってしまういろんなこと。おばあちゃんのタマゴサンドの味は、これから先何回も思い出すような気がするなあ、おばあちゃんのなかではきっと私と姉は今でも小学校から帰ってきたあのときのままなんだろうな

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おばあちゃんのタマゴサンド

こどもにめっちゃ威嚇された話

 

すごいどうでもいい話なんですけど
昨日、病院の検査の日だったから車で病院に向かってる時、いつもは広い国道を通るんだけど混んだらいやだから細い中道を通ってたんだよね そしたらたぶん幼稚園〜小学校低学年くらいの3人のこども(たぶん兄妹だとおもう)が道路の真ん中で遊んでて、うわ〜どうしよ〜あぶね〜どいてね〜と思いながら速度落としてゆっくりこどもに近づいていったら、たぶん1番年下の子がこっちに気づいて、そのとたん私に向かって両手をバッ!!!って広げてメチャクチャ睨んできたんだよね あれぜったいこっちに来るな!!ってことやんな 兄妹たちを守ろうとしてたよな でも狭い道やし避けて通れんし、道路のど真ん中で遊んでる君達が悪いんやで…と思いながらも完全に彼らから悪者扱いされてへこんだね 大人になってからあんなに露骨に威嚇されたのはじめてだったわ ウケるな日常、とおもいました

 

子宮内膜異型増殖症っていわれた話

 

子宮内膜異型増殖症、子宮体がんの0期と言われてるらしい。
5月に手術してとった内膜ポリープ、若いから良性だと思うけど一応ちゃんと細胞診しておきますからね、と言われて術後2週間してから結果聞きにいったら異型増殖症の細胞が少しだけど見つかりましたって先生から言われた。良性でしたよこれからも体調気をつけてね〜で病院とはさよならだと思ってたから全然先生のお話が入ってこなくて、なんか覚えてる話だと、閉経後とか出産後で今後妊娠を希望しないなら子宮摘出を提案するところだけど私はまだ若いからとりあえずこれから3ヶ月間ホルモン剤の服用で治療すること、3ヶ月薬を続けたらそのあとまた子宮内膜の細胞をとる手術をして細胞の状態を確認する、みたいな、なんかそういうことらしい。
え?ガン?まじ?うそやろ?って感じだし、実際0期ってことはまだ癌てわけじゃないからそんな大ごとじゃないと思うけど、不安で正直けっこうきついなみたいなのある。もともと考えすぎる性格だから病気のことをネットで調べては怖いこと書いてあるのをみて落ち込むを繰り返してる。ていうか同じ病気で闘病してるひとのブログとかみても閉経後の50代とか妊活中の30代のひとばっかりで全然参考にならない。そもそも閉経前後の女性に多い病気みたいで私くらい若くでみつかるの珍しいらしい。あと病院いっても同じ年くらいの女の子たち、お腹大きくて両親や旦那さんと検診に来たりしてて、なんか、自分この状況つらいよねみたいなきもちになる。完全に癌になる前にみつかったからほんとよかったねって思うけど気持ち的にしんどいね、よくわからんことばっかり出てくるし。今の仕事三交代制でしっかり三食たべれる生活してないから同じ時間に薬飲めないのもエ〜ってかんじだし、薬飲み始めたからなのか頭痛とか体だるいのとか前より多くなった気がするけど、薬飲んでる先入観というか思い込みというか自己暗示というか、そういうのでしんどい気がしてしまってるのでは?と思って無理やり出勤してしまうという、休むレベルのしんどさなのかが自分でわからない、まわりに大丈夫?て聞かれるけどそれ私が1番知りたいわ!!とキレそうになってしまう。前よりイライラするようになった気がするし、私は人がイライラしたり怒ったりするようなことでもとくになんとも思わずに付き合っていけるのが唯一自分の取り柄だと感じていたところがあるのに、薬のせいとはいえ、というか普通に薬のせいって思い込んでるだけでイライラしたりしだしたらもう、私の生きている価値?????みたいになってきちゃうな。薬のせいにしてイラついたり他人に優しくできなくなるの、甘えという感じがしてしまってほんとに毎日つらい、ごめんなさいと思う、イライラしてる自分のことまじで許せなくて泣きそう、仕事まじで行きたくねー!の日々を過ごす。クソッこんなに毎日毎日がんばって生きているのにどうしてこんなことに…きらいな奴は今ものうのうと生きているし…クソ!!と夜な夜なひとりでいろんな物事を呪ったりしている(ヤバそう)
明日改めてお母さんと一緒に主治医の先生に話をききにいくけど、すみませんがやっぱり間違いでしたみたいに言われる可能性あるな、間違いかーーーーい!(ズコーーッ)になったら笑うよね。笑ってくれー!
あと、私はずっと結婚もしないし出産もしないだろうな、子供もべつに欲しくないし、というスタンスで今までやってきたけど、婦人科系の病気になって将来子宮摘出の可能性があるっていざ言われたらめちゃくちゃに悲しくてひとりで泣いてしまった、子供とかいらないかなってほんとに思ってたはずなのにな、そういうもんなんかな。相手は今はいないにしろ、子供作るか作らないかの選択肢があるうちは余裕があったからそう思ってたのかな。可能性を絶たれるのって、なんにせよつらいものなんだなって思った、あと読んだブログで40代未婚のひと、子宮とるのに抵抗があるって書いてある記事に「その年で未婚なら、子宮とったほうがリスク少ないですよ」みたいなコメントがついてて、ちょっとそれ酷くない?別に40代でもこれから子供を望むかどうかは他人には関係ないしその年でもやっぱり可能性があるなら子供欲しいって思うひともいるだろうし、もしそうじゃないとしても自分の臓器の中のひとつを取りますて言われたらそりゃあ妊娠どうこう関係なく躊躇するでしょ、相手もいないしその年なんだから取ればいいやんみたいなの、暴力か?と思ったな
さっさと健康になって尾道に住みたい。お母さんを淡路島に連れていってあげたい。
早く病院いって大丈夫ですよーって言われて〜

まあぜんぜん大丈夫なんだけどね〜

 

2019/06/15


なにもわからないな〜みたいな時間がどんどん流れて本当になにもわからなくなってきたな、小さいことを気にしすぎるから、こんなことで悩んでたらいけないのかもしれない、でも、でもさ〜ちょっとゆずれないんだよね〜みたいなかんじになってて、でも誰に話してもな、全然これでオッケー!みたいになれないし、平気になれない 大丈夫なかんじになれない ああ
みんな優しいのに、自分じゃない人の悪いところを言ったりして、たぶんそういうのってぜんぶ自分のためたったりするんだろうか、なんとかしたいって泣きそうになりながら考えて次の日になってみたらぜんぜんふつうになってたりして、え、なんだったんだろうあれは、もういいや忘れよ、いやでもまた思い出すでしょ 夜とかに 自分に向けられたわけじゃないはずの悪口を思い出して泣いたり
冷蔵庫にあるものをなんとかしてごはんたべる 前まで賞味期限とか気にしてたけどもうそういうのも今はあんまりない 雑になったわけじゃないと思う それでも大丈夫ってことがわかったから
なんかよくわからない病気が見つかってから身体がいつもよりだるかったりどこか痛かったりすると、あー、あれのせいかなって思うと泣きそうになる、毎食後に薬飲んで、これがほんとに身体どうにかしてくれるの?大したことないっていう人も大ごとだって泣いてくれる人もいて、ああ、もうほんとわかんないなって思った
テレビみてたら車が人をはねたとか親が子どもを殺したとか、近くの国の大きいデモの映像とか国の偉い人が言い争ってたりとか、もうぜんぶいやなの、あーもうむり、テレビとか見るのやめよ、でもそうやって遠ざける事にも罪悪感というか、そんなことばで片付かないようなつらいかんじのきもちで身体が重たくなる、でも、でも今ちょっと私は私のことで精一杯で、近くにいる人のことをすこし考えただけでいっぱいになってしまうのにそんな、国とか世界とか、もうわからないんだよな、泣かないでほしいとか叫ばなくてもよくなってほしいとか、そういうことは思うのに勝手に泣いたりするばっかりで、わかりたいのに、わかってないとだめだろ、わかっていたいのにな、でもちゃんとするから、ちゃんとするからねって思う、わたしはほんとうにだめなんだよね、今はね
あー、なんもわかんないってずっと言ってる、なんもわからなくない?わかることもある、でももうなんもわかんないんだよね